ワシントン条約締約国会議でサメを国際的な取引規制の対象とすることが決定されたが、日本政府は規制の受け入れの拒否を申し立てるとのこと。フカヒレ業界の保護が目的なのだろう。クロマグロもうなぎも世界的に激減している。これらは全て日本の乱獲によるものと推定されている。一方日本は世界トップの魚介消費国だ。資源は有限。このまま乱獲を放置し続ければ獲るものも獲れなくなって、自分の首を絞めてしまうのは火を見るよりも明らかだ。日本は世界トップの魚介消費国だからこそ、本来は乱獲を規制するサイドの旗振り役であらねばならぬはずだ。フカヒレのためワシントン条約のサメを留保するなどという行為は、どのような発想から生まれてくるのか全く理解が出来ない。どうやら日本の政治家と官僚は、中国の中華思想という自己中病に感染してしまっているようだ。
中央防災会議が「南海トラフ巨大地震について確度の高い地震予測は難しい」と発表した。今まで国内で唯一予知可能と言われていた東海地震も確実には予知出来ないとのこと。マスコミは「なんだ予知が出来ないのか」という論調なので、予知技術が萎んでしまいそうな状況だ。これはマスコミのミスリードと言える。中央防災会議が言う「確度の高い予測」とはほぼ100%という確率を指している。今時、明日の天気予報でも100%当たることなど奇跡に近い。だから天気予報は降雨確率を使っている。そもそも地震学者に初めから100%の予知確率を求める方が間違っている。地震予知も予知確率に変更すべきだと思う。地震予知の方法は、ナマズから始まり、ねむの木、地震雲、電波、GPS、歪み計等々色々ある。一説に拘らず諸説について予知確率と実績を検証し、地震予知技術を深めていくべきだ。ナマズを笑う地震学者は、ナマズに笑わられることになるかもしれない。
原発のニュースが華盛りだ。余りにも杜撰な東海村の放射能漏洩被曝事故に対し、規制委員会は安全欠如の観点でレベル1という落第点を付けた。実質に変わりはないが双葉町は警戒区域が解除された。文科省はもんじゅや原研を所轄する原子力機構をダメ組織と認定せざるを得なくなり改革本部なるものを設置した。原発事故の被害者にはたったの3年の時効しか適用されないことを変えるため参院が特例法を可決した。そして超珍しいことに経産省は放射性廃棄物の処分地選定について何点かの反省点を示したが、その心は国の責任を県や市町村に押し付けたもので、責任回避としか思えない。環境省は言うにも値しない。一見すると原子力行政が真面な方向に進み出したかのようにも見えるが全く違う。これらは原子力を従来通り推進し、目先の災いを通り過ごさせるための戦術案に過ぎない小手先の行動だ。本丸は、原子力サイクルが非現実的なものであることを認識することに尽きる。破綻した原子力サイクルを維持しようとする勢力は、過去の遺産の垢に過ぎない。垢を助長してきた自民党が、その垢を覆い隠そうとしている。そういうふうにしか見えない。アベノミクスに浸っていれば原発再稼働が良いというものでは決してないということは明らかだろうと思う。
今年度の交通安全白書によると、交通事故死者数が12年連続で減少し4411人になったとのこと。十数年前は1万人以上だった。人口が1億だから年間で1万人に1人が亡くなるほど多いと言われていた。10年間で半減するほど劇的に改善された例は珍しい。何故劇的に減少したのかを考えてみることは他への波及という点からも価値があると思う。色々な要因が重なっているとは思うが、東名高速での痛ましい事故で子供を亡くした母親が、再発しないよう訴え続けたことが発端になっているような気がする。その訴えが飲酒運転の罰則強化に繋がり、危険運転致死傷罪の施行に至っているのだろう。罰則次第で行動は変わるということなのだろう。見方を変えれば一人の母親の悲しみと執念が何万人もの命を救ったとも言えるし国の文化を変えたとも言える。事故死亡者の半分は65歳以上の高齢者で、その半分が歩行中の事故で4分の1が運転中とのこと。自分は今年67歳になる。くれぐれも半分には入らぬようボケない生活を心掛けるしかあるまい。
都の道路計画を問う小平市の住民投票が行われたが、投票率35%で成立要件の50%に届かず、不成立に終わり開票もされなかった。ことの発端は50年前の東京都道路計画について2009年に予算がついて実施される見通しになったこと。計画部分は玉川上水や雑木林があり、自然を破壊するなと一部の住民が反対している。但しこの計画部分以外は既に完成しており、計画が実施されれば交通はスムーズになる。反対住民は7千筆以上の署名を集め住民投票の制定を請求。議会は、住民投票の市条例案を可決したが、市長が投票率50%以上の成立要件と不成立の場合は開票しない条件を付けた。ちなみに4月に市長選が行われ、投票率37%で市長の得票率62%だから、全有権者の22%が市長に票を入れ市長になったことになる。この騒動で腑に落ちないことが二つある。一つは、22%の支持者しかいな市長が何故住民投票のハードルを50%などと異常に高い数値を設定出来るのか。どう考えても理解が出来ない。もう一つは、何故不成立の場合は開票しないのか。投票した人が全て反対したとは限らない。真摯に市民の声を聞くには開票が必要で、市民もその内容に興味を持っているはずだ。小平市長は革新系左翼であるのに、市民を上から抑え付けようとしている構図が滑稽だ。
インテルの科学コンテストで、携帯のバッテリーをたったの30秒で充電出来る装置を開発した高校生が入賞したとのこと。このスーパーコンデンサーは僅か2.5cmの大きさで自動車の高速充電にも利用出来るらしい。どのようなものを開発したのか今のところ詳細は分からない。以前このブログで2011年6月15日に書いた電気自動車の高速充電を思い出す。多数のコンデンサーを同時に用いれば数分で充電出来るというものだった。その後実用化されたのだろうか、気になるところだ。インテルのコンテスト入賞作の詳細は分からないが、推測するに電気二重層コンデンサーを直列か並列にして用いたものではないかと思う。この種の発明は、新規性には乏しいが実用性は高い。だがこの発明は最優秀賞は得られなかった。一般的に科学者や一流企業は、新規性に拘り過ぎているように見える。しかし新規性だけが重要な訳ではない。実生活で便利なものは実用性だ。実用性のステイタスをもっと上げるべきだと思う。コロンブスの卵をもっともっと尊重するようになれば世の中はもっと快適になるはずだ。
山形のベンチャーが人工的に合成したクモの糸の繊維を量産する技術を世界で初めて確立したと発表した。クモの糸は強度が鋼鉄以上で伸縮性はナイロンを上回るらしい。将来はカーボンファイバー以上の性能を発揮することになるのかもしれない。微生物の遺伝子組み換え技術で、クモの糸を構成するタンパク質「フィブロイン」を短時間で大量に合成することに成功したとのこと。これはこれで科学技術として素晴らしい成果だと思うが、クモの糸というと芥川の「蜘蛛の糸」を思い出す。地獄から極楽への蜘蛛の糸をカンダタが登り始めたら、多くの罪人が後を追ってきて糸が切れそうなので、来るなと言った途端に糸が切れて地獄へ真っ逆さまという物語。小松左京はパロディで、カンダタが登ってきってしまったのでお釈迦様が驚いて地獄に落ちてしまい、お釈迦様が蜘蛛の糸を登り始めるがカンダタと同じ言動をしたため再び地獄へ落ちてい行く、という話を書いている。森達也は「王様は裸と言った子供はその後どうなったか:集英社新書」で、お釈迦様が蜘蛛の糸を止めるのを忘れたため、次々と罪人たちが極楽に登ってきて地獄が空になり、活気のある極楽になった、という話を書いている。どちらも糸の強度が弱いことを前提にしている。ところが、このベンチャー技術が実用化されれば話は変わってくる。前々から童話や寓話のその後を書いてみたいと思っていた。近いうちに近代技術をベースにして名作のパロディを書いてみたいと思う。
松山には、大街道と銀天街という二つの大きなアーケードの商店街がある。東京や地方のアーケードは人と自転車が入り乱れ、事故が日常茶飯に起きるのが当たり前の危険地帯だ。ところが、この松山のアーケードでは、自転車に乗っている人は皆無だった。自転車の人は降りて手で押しながら歩いている。良く見ると所々に「下りてください」と書いたプラカードを持ったオバサンが立っている。しかしオバサンが注意する現場を見ることは無かった。自転車マナーが市民に徹底して浸み込んでいる。市民が自立していることに感心し宿に戻った。テレビニュースでは、ベビーカーの迷惑乗車のため全国統一ルールを作ると太田国交相が息巻いている。太田は一体何を考えているのかと、蔑む気持ちが湧いてきた。この種のルールは法律で規制するようなものではない。国交省がマスコミを通して呼びかければ済む。ましてや大臣が先頭に立って旗を振る類ではない。上から抑え付けるのではなく、利用者同士が互いを気遣うよう仕向けることが、国民を大切と思う施政者側の本道だ。国交相にはもっと大事なやるべき事が山積している。平和ボケの太田には、幹も葉っぱも区別がつかないようだ。公明の天下も永くはあるまい。
しまなみ海道は、村上水軍の本拠地と言うことだけあって、行く島行く島で村上という名の看板がやけに目に付いた。1日目は広島県因島のナティーク城山というオーベルジュに宿泊した。因島の南端にあり向いには愛媛県の生名島がある。余談だがイクナ島と呼ぶのかと思ったらそうではなくイキナ島と言うらしい。「行くな」島ではなく「行きな」島。漢字は同じでも意味が正反対になるところが面白かった。日立造船の入口の傍の小高い4階の高さ位の岩の上に館っている。ユニークというか異様な景色だ。昔は村上水軍の出城になっていたらしい。その後日立造船がその場所に迎賓館を築いて使っていたが、今は隣の島の瀬戸田の会社が買取り、迎賓館の面影を残しながら海に浮かぶ船をイメージして建て替えたとのこと。内装が凝っている、と言うか品がある。従業員も良く教育されていて接客が心地よい。もっと驚くのは料理だ。オーベルジュと名乗るホテルは数々あるが、ナティーク城山はオーベルジュですと名乗っても憚らない充分美味しくて洗練された料理を提供している。更に驚くのはリーゾナブルな宿泊料、廉い。勿論料理も部屋も十分堪能した。だがここは何かが違う。何かは分からないが特別な空間であることは間違いない。こういう場所をパワースポットと言うのだろう。多分昔の村上水軍もそれを感じたに違いない。生まれて初めてパワースポットらしきものを経験した。皆さんお試しあれ。
広島空港から松山までの140Kmをドライブしてきた。道はガラガラで快適なドライブだった。2泊3日の旅だったが、天気に恵まれ、晴れて風もなく、敢えて言えば少し暑かったくらいだ。特に瀬戸内海は油を流したような波のない海に大小の多くの島が浮かんでいて、まるで水彩画を見ているような美しさだった。瀬戸内海には約3千の島があるらしい。一度くらいは誰もいない小さな島で釣り三昧に耽ってみたいとも思ってみた。大きな街としては、尾道、今治そして松山を訪ねた。行く前の予想は、尾道は文学者も多く風光明媚で趣のある街だと思っていた。そして今治と松山は四国の悪いイメージが強く、過疎化が進んで取り残された活気のない街だと思っていた。ところが想像は見事に裏切られた。今治はタオルだけでなく造船業も盛んで街としての活気があった。松山は昔の子規と漱石に縋っているだけでなく、街中が俳句と坊っちゃんに力を入れて新境地を開きつつあり、海外にもしっかり発信し外人をも取り込もうとしている。まさに街全体として街を盛り上げる努力をしていることが肌で感じられた。もう間違いなく今治と松山は「自前で食っていける街」になりそうだ。一方尾道には問題が多い。文人の住処と寺という過去の遺産がある、ということだけに頼って新しい価値を産み出す努力をしていない。敢えて言えば、尾道ラーメンやテッパンはある。だがそれだけでは街は成りゆかない。過去の遺産があります、と言うだけでは人は集まらない。人を集めよう、街を発展させようという真摯な努力が、人の心を捕えて求心力を作るのだと思う。尾道市長と市民は重要な任務を担っている。
2年前に立てた旅行計画が、今日やっと実行されることになった。一昨年のゴールデンウイーク前に、しまなみ海道ドライブ旅行を計画していた。だが大震災後も余震や放射能の問題が有り、とても年老いた義母を一人残して旅行に行くような状況ではなかった。仕方なく航空券もホテルもキャンセルした。今回の旅行は2年前に計画した通りに実行することにした。もうバーチャルでは2年前から何回も行程をなぞっている。イメージは頭の中に入っている。果たしてバーチャルと現実の世界はどれほど異なるのだろうか。いつになくその違いを感じることを楽しみにしている。2年置いて熟成した計画が、旅行にプラスアルファーの楽しみをプレゼントしてくれた。いざ出発。
民営化による成果という花が咲き出したようだ。佐賀県武雄市は図書館の運営をTUTAYAに任したところ、来館者が大幅に増え満席が続いているとのこと。埃臭い古びた図書館より、スタバを併設したお洒落な図書館の方が、誰にとっても居心地良いに決まっている。横浜市は過去全国で一番多い待機児童を抱えていたが、企業の参入推進で待機児童がゼロになったとのこと。工夫次第でやれば出来るのだ。政府は国が管理する空港の運営を民間に与える法案を今国会に提出している。民営化すれば気の利いた施設も増え、使い易さが向上して、利用客も増え、着陸料も下がって良いことずくめだ。地下鉄や高速道路や上下水道など民営化すべきものは山ほどある。アベノミクスの第3の矢である成長戦略の一つは、民営化するための規制撤廃だ。それが出来るか出来ないかは、政治家が既得権勢力の抵抗を振り切れるかにかかっている。今までそれを乗り越えた政治家は殆んどいない。乗り越えられれば安倍は稀代の首相となる。武雄市や横浜市を見習って、世の中の仕組みを変えることの出来る政治家の出現を期待したい。
ダイエット飲料を飲むと糖尿病のリスクが1.7倍になるという摩訶不思議なニュースがあった。金沢医大が10年間調査した結果、ダイエット飲料を週1本以上飲む中年男性は、飲まない人に較べ発症率が上がるという。理由は明確ではないが、ダイエット飲料に含まれる人工甘味料が甘いものへの食欲を増進させているかもしれないとのこと。太っている人はもうこれ以上太りたくはないと思っている。太るのはカロリーオーバーだから摂るカロリーは減らしたい。だからダイエット飲料を飲んで今以上にはカロリーを摂取しないように努力する。とても論理的な思考に思えるが基本的な誤りがある。そもそも問題はダイエット飲料にあるのではない。肥満は摂取量が消費量を上回るから生じるのが原理。問題はダイエット飲料を飲む前のカロリー過剰摂取にあるのは明白だ。どうもダイエット飲料には功罪がありそうだ。功は低カロリーなこと。罪は、飲むことによって甘いものへの食欲を増進させることと、ダイエット飲料を飲んだという安心感で更に食欲を増進させてしまうこと。肥満の人にとっては、ダイエット飲料とは食欲増進剤であると心得るべきものなのだろう。
ゴールデンウイークからジェットコースターに乗っているような日々が続いている。連休前半は子供たち家族全員が集合し楽しい時を過ごした。子供たちが帰った後カミサンの要望で外食したが、食中りして連休後半はジッとひたすら家で回復に努めた。やっと体調も回復し連休明けは軽井沢のテニス合宿に参加した。体調が心配だったが思いのほか体が動き、テニスは快調そのものだった。家に帰って来て車の汚れが気になり洗車した。その時3月の時と同じように腰の筋肉を痛めてしまった。ぎっくり腰ではないがそれに近い。俯くことが出来ない。同じ姿勢で座っていると身体が固まってしまい身動きがとれなくなる。ゴルフの先生からお誘いがあったが腰痛で断ざるを得なかった。テニス合宿の2日目は天気が良かったが、5月の日差しは紫外線が強いことを忘れていた。その所為に唇が日焼けし、ガサガサになりあっと言う間に皮が一枚剥けてしまった。その後下唇の中央が割れ瘡蓋が出来た。これが極めて厄介だ。食事の度に水に膨潤してふやけてしまいなかなか治らない。その度血が滲む。更に舌の先に口内炎が出来た。唇を避けて食物を運んでも舌に当たると痛さを感じる。好物である刺激のある食事が出来ない。だが腰痛も唇も口内炎も、あと2、3日で治りそうだ。3日後は、しまなみ海道へ旅行に行く予定。どうやら体調上々で旅行に行けそうだ。やっとジェットコースターから降りられそうな気配がしてきた。明日はいつも明るいのだ。
シリア内戦で隣国に逃れた難民は100万人を超し、イスラエルが首都ダマスカス近郊を空爆し、遂に禁断のサリンも使われた。これまでオバマ大統領はシリア政府軍に「化学兵器使用がレッドラインだ」と言ってきた。しかし、化学兵器使用の確証がないとの理由で、世界の警察として米国が動く気配は未だにない。米国の第43代大統領ブッシュは、イラクに大量殺戮兵器がないのにあるとして爆撃したのに、第44代大統領オバマは現実にレッドラインを超えたのに何もしない。何故なのだろう。イラクは石油大国だ。フセインは石油の決済通貨をドルからユーロに替えた。そしてイラク戦争終結後決済通貨はドルに戻った。米国は多くの犠牲を払ったが目的は達成したようだ。一方シリアにはこれといった資源がない。犠牲を払う見返りがない。オバマはイスラエルとの近所付き合いの度合いをはかって逡巡しているのだろう。世界の警察は人道問題だけでは動かない。悲しいことにそれが世界の常識というものなのかもしれない。
日経夕刊に卓球世界選手権個人戦について明暗対照的な記事が隣り合っていて印象深かった。上欄の見出しは「相手はびびっていた」下欄は「自分を見失ってしまった」。一見して同じ試合の相手同士の感想かと思ったがそうではない。上欄は女子世界ランク89位の17歳、初出場の松平選手の言葉で、下欄は男子世界ランク5位になったことのある水谷選手だ。松平選手は格上27位のモンユを破り「自分の思いっきりのいいプレーに相手はびびっていたと思う。大きい会場でプレーする方がやりやすい」と日の出の勢いだ。一方水谷選手は131位のシルチェクに敗れ「知らない相手でびびってしまった」と嘗ての面影はない。デビュー当時は怖いもの知らずで、負けても失うものはないと強気でいける。だが勝つのが当たり前のような位置まで上がってくると、負けるのが怖くなる。日本卓球は体罰とは無縁で、どちらかというとホンワカムード。世界のトップを目指すには、持っている技術を十二分に発揮出来るよう、練習と同量の科学的なメンタル強化が必要だ。スポーツを究めるには心技体というが、技体が整ってきたのでこれから心が追いつく時期にきているのだろう思う。
高速増殖炉「もんじゅ」の大量の点検漏れがバレ、とうとう原子力規制委員会が運転停止命令を出した。元々核燃サイクルは実現するはずのない架空のサイクルだ。その一部である高速増殖炉も、30年研究しているがトラブル続きで実用化の目処は立っていない。事業費は一兆円を超え無駄遣いの典型だが、それ以上に問題なのは放射能についての安全性の欠落。再稼働しようとしている「もんじゅ」に1万件以上の点検漏れが見つかり、しかもその漏れには安全上最重要の機器も含まれているという。余りの杜撰さに身内の原子力規制委員会も運転停止命令を出さざる得なくなった。ところが、ここにも問題が有る。保守管理体制の見直しが完了し報告すれば運転OKという限定付だ。上辺を繕えば原子力行政に問題なしという考えなのだろう。一方政府も原発再稼働だけを優先させようとしている。間違っている。増え続ける使用済み核燃料やプルトニウムを如何に処分するのか等々喫緊の課題がある。今はまさに、原子力行政の全体像を見直し、止めるべきものは止める時に来ている。先送りすればするほど、無駄金を注ぎ込むことになり、かつ人類の安全を脅かすことになる。河野太郎の出番が到来している。
香川県の糖尿病受療率は男性1位で女性2位、糖尿病死亡率も全国5位なので、特異的に糖尿病が多いことは間違いない。全国的に子供の糖尿病が増えており、発見は早ければ早いほど治療に効果がある。そこで香川県は全国で初めて、生活習慣病予防を目的に小学生の血液検査を実施することにしたとのこと。これまでの検査で1割の子供に脂質異常が見つかっているらしい。香川県での糖尿病の多さは「食生活」「野菜摂取量の少なさ」「運動不足」が原因だとされている。このうち最も疑われているのが、うどんによる炭水化物の過剰摂取。香川では1日に5食もうどんを食べる人がいるとのこと。次が野菜で、国民健康栄養調査によると野菜摂取量が全国で最も少ないのが香川県。運動不足は移動に車を多用する地方特有の事情だ。香川県観光協会が香川県をうどん県と表明し、うどん県副知事には県出身の俳優である要潤が2年前に就任した。どうやら、副知事としての、うどん拡販宣伝の仕事は終わったようだ。今後副知事としては、うどんの量から質へと方針転換をはかり食育に力を入れる必要がありそうだ。今のところ、うどんが犯人と決まった訳ではない。うどんのステータスを上げ糖尿病を減らすことこそ副知事に求められている。
6月のイラン大統領選に何と686人もが立候補を届け出た。大統領というと、米国やロシアのように最高権力を持っているイメージがあるが、一口に大統領といっても色々あるようだ。ドイツやイタリアでは中立的な権限しかなく儀礼的な立場にあるらしい。イランはまた少し違う。イランの最高権力は最高指導者であるハメネイ師が握っている。最高指導者が監督者評議会という上院機構の半数を指名して、残りの半数は国会が指名する。そしてその監督者評議会が大統領選立候補者が適任であるか篩にかけるという。最高指導者と監督者評議会が絶大な権力を持っている。イランの大統領とは行政府の長にすぎないようだ。それでも大統領の影響力は大きい。二期務めたアハマディネジャド大統領は、連続三選を禁じる憲法の規定で出馬できない。イランは核開発疑惑で欧米から経済制裁を受けて国民は苦しんでいる。イスラエルはイラン攻撃に走ろうとしている。8年ぶりの大統領交代で情勢が大きく好転すると良いのだが。
今日は母の日。朝から息子達の嫁さんからカミサンへ宅急便のプレゼントが相次いだ。傍から見ていて、うちのカミサンは子供や孫が来宅するときは、嫁さんや孫一人ひとりの状況を考慮して、出来得る限りの準備をしている。よくもマーそこまで、と思うこともあるが、それがカミサンのカミサンたる所以だと思う。プレゼントの多さにも肯ける。話は変わるが、振り込め詐欺の手口が変わってきたために、新しい呼称が求められていた。偶々か、狙い撃ちかは分からないが、母の日の今日に新しい呼称が発表された。1万4千件の中から優秀作品として「ニセ電話詐欺」と「親心利用詐欺」が選ばれたが、最優秀作品は「母さん助けて詐欺」とのこと。この種の詐欺は、母親の愛情に付け込むことがキーだから「母さん助けて」は当を得ている。上手いネーミングだと思う。一方父さんは「母さん助けて電話」が来ても即対応はせず、まず息子の失態を責めることになるので詐欺は成り立ちにくい。嫁さんや孫が来宅しても、積極的な歓迎はしないで、孫たちが言い寄ってくることを待っている。愛情の深さに母さんと父さんに違いはないと思うが、濃さが違う。その濃さ故に詐欺ありプレゼントありということなのかもしれない。
急遽代役を引き受けた宮沢りえが、舞台の神様が舞い降りたとしか思えないほどの役を演じ、大絶賛を浴びたとのこと。舞台は、作・演出三谷幸喜、主演野田秀樹と天海祐希の「おのれナポレオン」での天海の代役。天海が心筋梗塞で降板し、宮沢が急遽代役を引き受けた。この舞台は4月6日から5月12日までで、すでに9割方終わっている時に天海が倒れた。残り数日であるし、天海の役は台詞が130もありダンスもありで即代役は不可能に近い。関係者の常識では打ち切るのが妥当らしい。ところが、野田は宮沢に代役を依頼し、宮沢は代役を快諾したとのこと。野田は何故宮沢に非常に困難な代役を頼んだのだろうか、そして宮沢は何故たった数日間しかない代役を二つ返事で受けたのだろうか。多分、本来は演出家である野田は、今までの経験で宮沢の才能を見抜いていたのだろう。一方宮沢は演出家としての野田に対し数年前の「ハイパー」で大きな恩義がある。失敗すれば女優家業が危うくなることも十分承知の上での決断だと思う。このような状況下で常識人であれば、依頼もしないし受諾もしない。それが普通だ。しかし、この二人は依頼して受諾した。まさに、これこそがトップレベルのプロ根性というものなのだろう。兎にも角にも、目出度く千秋楽を迎えることを願いたい。
テニス合宿から帰ってきたら、早速疲れを吹き飛ばすグッドニュースが飛び込んできた。世界ランク16位の錦織が2位のフェデラーを破りベスト8入りしたとのこと。何と四大大会に次いで格付けの高いマスターズ大会で2度目の8強入りを果たしたことになる。一昨年は当時1位のジョコビッチを破り、今度は現在2位のフェデラーをも破った。錦織は器用な選手なので、以前はフェデラーやナダルの試合前の練習相手に指名されていたが、それ程の実力の差があったということだ。錦織にとってフェデラーは永遠の目標だった。この勝利は言葉では言い尽くせないほどの喜びであっただろうことは想像に難くない。永年の夢を叶えた錦織は「世界のトップ10入りを目指し、トップ10の選手に勝っていくのが課題」と新たな意欲を示した。まさに「勝って兜の緒を締めよ」を実践していることが、この勝利よりも価値があると思う。一方負けたフェデラーは「またコートで練習するしかない」という言葉を残してコートを去った。これまた勝敗よりも価値のある姿勢だと思う。テニス合宿で勝ち負けの結果だけに拘っていた小さな自分をも吹き飛ばしてくれたグッドニュースであった。
今日は楽しかったテニス合宿を書こうと思っていたが、急遽変更した。参院川口委員長が衆参両院で初めて決議によって解任されたからだ。理由が振るっている。国会議員が国会開会中に海外渡航する際には議院運営委員会理事会の事前の了承を必要とするというルールに触れたからとか。一方川口議員はいま尖閣や靖国を問題とする中国にいたが、急に中国要人と会議が出来るチャンスに恵まれ、1日間の帰国延長を要請したが野党が反対。結果として、参院の野党多数の反対により解任となった。野党は「会談の内容」を問題にするのか、はたまた「国会ルール」を問題にしているのか、どちらが国益に適うかは言うまでもない。いま中国や韓国とパイプを繋ぐことは極めて重要であるし、700人以上もいる衆参議員でそれを出来る人は殆んどいない。その「いない人」が「出来る人」をクビにする事件が起こった。まさに珍事と言える。反対したのは野党7党。最早4、5年は野党への票は望むべくもない。健全なる野党の復活を望みたいとはかねがね思っていたが、その夢も絶たれてしまったようだ。
連休明けの7日は強風が吹き荒れ朝から電車が乱れていた。定刻までに軽井沢に行くため予定より早めに家を出た。案の定電車は大幅に遅れていたが、何とか新幹線には間に合った。軽井沢は気温が低く風も強くテニスには悪コンディションではあったが雨ではない、根性で何とか熟した。だが強風故のメリットもあった。この時期に毎年のように長野新幹線に乗り軽井沢へ行くが、熊谷辺りで真っ白い富士山を見たのは初体験。そして高崎辺りで今度は妙義山の左に雪を被った山が出てきた。これも初めて見た光景だ。まさか北アルプスであるはずがない。山の形は浅間山に似ているので一応浅間山だろうということにした。軽井沢の駅に着き早速北口に出て浅間山を確認することにした。生憎北口からは離山が邪魔をして殆んど浅間山を見る事が出来なかったが、離山の上に僅かに見える浅間山の山頂に雪のあることが確認出来た。この時期に雪を頂いた浅間山も珍しい。9日の帰路は一転して温暖になり霞がかかっていた。勿論新幹線からは浅間山も富士山も見ることは出来なかった。悪い事ばかりが続くはずがない、そして良い事ばかりが続く訳がない、という教訓を得た軽井沢合宿の行き帰りであった。
今日から恒例の軽井沢テニス合宿が始まる。全員介護保険加入者の老人軍団だが、介護保険を受けている者などいない。足が痛い腰が痛いと言う人はいるが全員至って元気。遠くは京都や三重から遥々車でやって来る。年に一度の全員再会を楽しみにしている。皆さんテニス歴は数十年と極めて長い。未だに上手くなり進化し続けている人もいれば、逆の人もいる。どうやら若い時に打ち込んだスポーツは永続きするようだ。若い時に仕込んでおいた宝物とも言えるだろう。いざ出発。
ヨーカ堂の野菜の質の低下が酷いと、カミサンが嘆いている。確かにこの1年で随分変わったように感じる。ヨーカ堂では今大改革が進行中だ。営業利益がたったの7億円しかない。そこで正社員を半減させパート比率を全従業員の9割にして、人件費を100億円削減する計画とのこと。今後はパートの従業員に売り場のレイアウトから商品の発注まで全部任せることになるらしい。スーパーの仕入れには絶対目利きが必要のはずだ。現在でも質の低下が甚だしいのに素人に替えればどうなるかは火を見るよりも明らかだ。野菜の質が悪いスーパーなどに客が集まる訳がない。我が家は既にヨーカ堂では買わないことにした。流通王と言われた鈴木会長は一体何を考えているのだろうか。ヨーカ堂を潰す腹積もりなのか、現場に疎い裸の王様になってしまったのか、はたまた単に焼きが回ってしまったのか、の何れかだろう。良いものを安く売るスーパーの原則を忘れてしまった経営者に、スーパーの経営を立ち直させることは不可能に近い。
今日はこどもの日。ブログを書き始めて3回目のこどもの日を迎えるが、未だにこどもの日に子供について書いたことがない。去年はサルコジと大阪維新だったし、一昨年は大震災後の政府の対応の悪さについてだった。今日はこどもの日だから今日こそは子供の事を書こうと思っていたら、親にとって子供のためになりそうな良い記事を見つけた。子供というよりは子供の子供である孫のために。「子どもに使ってはいけない10の言葉(と代わりに使うべき言葉)」という記事。一例を挙げると、子供に「よくできたね」とは言ってはいけないとのこと。子供が大した努力をしていなくても、親の要求や希望を満たせば褒められると子供は思ってしまう。正解は「頑張ったんだね」と声をかけてあげること。子どもの「努力したこと」に注目することで、努力することは、結果よりもずっと大事なことなのだと教えることが出来る。そうすれば、子どもたちは難しいことに挑戦する時も粘り強くなり、失敗は次の成功へのステップなのだと理解することになる、と書いてある。素晴らしい指摘だと思う。子供は親の細やかな心遣いで如何様にも育つ。親の責任は重い。今日は「コドモ」という言葉を18回も多用した。少し満足。
日本の柔道界が崩壊しそうだ。そんなことを実感させるニュースがあった。柔道全日本選手権で、すでに引退を決めろくに練習もしていない選手が重量級で優勝した。ロンドン五輪で2回戦敗退の穴井選手だ。試合前に本人は「練習もしていないので、自分が勝つようでは問題だ」と言っていたらしい。それが現実になった。もう既に深刻のレベルを通り過ぎてしまっているようだ。今の日本柔道界は滅茶苦茶だ。会長しかり、理事しかり、強化部長しかり、監督しかり。社会人としても救いようがない。これまでの日本柔道界は、手段を選ばず「勝つ」ということだけを強引にトップダウンで押し進めてきた。と言うよりは選手や監督を脅迫してきた。人間は恐怖を感じると委縮するかまたは反対に反逆する。選手は委縮してロンドン五輪惨敗という結果を残し、監督は方向を間違えた反逆をしてパワハラに奔ってしまったのだろう。だが、光明もありそうだ。穴井は「勝たなければ、という余計な思いを取り払って戦いたかった」とも言っている。この言葉に日本柔道復活への糸口がありそうな気がする。元々「勝つ」ということは結果だ。「勝つ」ためには「勝つ」ことを考えながら戦うことではない。無心になり全力を発揮した結果として、勝ちがあり負けがある。結果よりもプロセスを追うことが日本柔道復活の道に繋がるかもしれないと少し思った。
今日は憲法記念日だからということではなく、安倍政権になり特に憲法改正議論が活発だ。憲法とはその国の考え方や規範そのもの。憲法が全てのベースになり法律や慣習が作られている。この問題は憲法と照らし合わせておかしくはないのか、という規範の原点としての位置付けにある。そういう普遍的なものであるべきものだから、朝令暮改でコロコロと変わるべきものではないし、悠久の大義として存在するものでもない。現実に違憲状態のものあれば、憲法に欠けているものもある。改憲が必要な時期には来ている。しかし、改正すべきと言う具体的な議論は殆んどないことに問題が有る。あるのは改正するための方法論で、96条の取り扱いだけ。両議院で3分の2以上を2分の1にして改憲し易くしようとする動きだけだ。間違っている。国民が議論すべきものは、決して96条ではなく憲法そのものの内容のはずだ。特に日本国民は右に左にブレ易い気質がある。そう考えると、改正には高いハードルがあった方が良い。両議員の3分の2は維持すべきだと思う。かつその前に国民投票で2分の1以上の賛成があった場合のみ両議員は採決出来るとした方が日本には適切だ。憲法改正は、まず国民の議論から、これ無くして改正はあり得ない。
超短編小説シェアハウスシリーズの第3話を書いて投稿した。主人公はシェアハウスで暮らす若者たち。66歳の自分が二十歳の女子学生になった積りで書いている。普段顔を合わせる女性と言えば、義母の88歳を先頭に精々50歳までだ。年に数回子供たちが嫁さんと孫を連れて遊びに来るが、それでも30歳代でそれより下はいない。二十歳の女学生が実際にどのような生活をしているのかは知る由もないが、自分なりに想像して人物像を作り上げる作業は楽しいものだ。今回は大2病をテーマにして「シェアハウスの大2病患者」という題で超短編小説会に投稿した。大2病とは、中2病と同根で大人になる前に無理やり背伸びして大人の振りをする一種の病気だ。症状が軽ければ「鼻持ちならない嫌味な奴」程度で済むが、重症になるとサブカルチャーに走りオタクの世界に引きこもってしまう。大学も2年生になると、学生生活にも慣れ就職のプレッシャーもまだなく、余裕が出来ると罹り易くなる病気らしい。小説を書かなければ、大2病など目にも留まらなかったはずだ。視野は広がりつつある。
ソニーの全役員が今年の賞与を返上するというニュースが流れた。ソニーもとうとうここまで来たかと思った。役員を褒めているのではない。経営の拙さをいっているのだ。出井とストリンガーが凋落させたソニーは4期連続の赤字が続いた。5期連続を避けるため、片っ端から事業や保有株や不動産を売却してきた。それでも本業のエレクトロニクスが赤字のため、平井社長の提案で今回の賞与返上となった。だが役員個人から見れば賞与返上は経済上の大きな問題ではない。十分な年俸があり生活には何の支障もない。減俸や返上は一種の社内罰でキャリアに汚点が残るはずであるが、役員全員なので汚点が汚点として残りはしない。全役員賞与返上はパフォーマンスそのものと言える。だが役員の次には社員の賞与大幅カットが待ち受けていることは容易に想像がつく。社員は気が気ではあるまい。一方ソニーの技術軽視は更に甚だしく進んでいる。すでに技術者が千人以上流出している。今度は更に会社の貴重な財産である特許を放棄し始めた。無言の抵抗として中核の技術者が退職し社員がショックを受けている。経営者が社員を委縮させ、明日の飯の種になる技術を放棄してしまった。最早技術のソニーは崩壊してしまったと言える。今後ソニーという名の亡骸だけが街を彷徨うことになるのだろう。