皇居は何故西の丸にあるのか

皇居は江戸城の本丸ではなく西の丸にある。歴史の流れで言えば、皇居は江戸城の本丸にあるべきものだ。何故なのだろう。立地から見ると、江戸城の本丸は、東京湾に向かって北から張り出してきた台地の先端部に位置している。これに対して、西の丸は新宿方面から伸びてきた別の台地の先端部にあたっている。戦国時代なら出丸か外郭として防備が施されていたのだろう。徳川の時代になると、西の丸として城域内に取り込まれ、将軍を退いた大御所や、将軍のお世継ぎが暮らす御殿が置かれていた。本丸御殿が火事で焼けた場合の予備という役割もあった。ところが、大政奉還と鳥羽・伏見の戦いの少し前に本丸が火事で焼失してしまった。あれよあれよという間に明治維新・東京遷都になだれ込み、明治天皇は西の丸御殿に入ることとなったのだ。今では国民の誰もが本丸跡の東御苑に入れるが、西御苑の皇居には入れない。巡り合わせとしか言い様がない。国家の主権は国民にあり、と関係が有るのか無いのか、さて。