杉原千畝がビザを発給し、約6000人のユダヤ人難民を救ったことは有名だ。「命のビザ」と言われている。その子孫も含めると約25万人を救ったことになる。杉原千畝は日本政府から叱責されたが、発給についてではない。短期間に多くのユダヤ人を救おうとする際に規則逸脱があったためだという。背景には、日本にはユダヤ人を保護する政策があったのだ。ナチのユダヤ人排斥は日本が主張してきた人種平等の精神に反する。1938年、首相の近衛文麿らの五相会議がユダヤ人を他国人と同様に公正に扱うユダヤ人対策要綱を決めた。外務省は訓令として全ての在外公館に通達した。そして日本経由で渡航する第三国の入国ビザを持つユダヤ難民には日本の通過ビザを発給した。ユダヤ人を救ったのは杉原だけではない。樋口季一郎陸軍ハルビン特務機関長は、多くのユダヤ人が上海へ向かう途中に満州を通過することを許した。小野寺信ストックホルム駐在陸軍武官や近衛秀麿も亡命を助けた。杉原千畝の業績は、多くの書物に残されている。自分の高校時代のクラスメートは丹念な取材を元に「素描・杉原千畝:小谷野裕子:春風社」を著している。日本の人種平等の精神は、いつまでも続いてほしいものだと願っている。
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