「民が主」と「民の主」の違い

ゲームのアプリは個人が楽しむものと思っていたが、中国では全く別の使い方があるようだ。中国共産党とアリババが共同で「学習強国」というアプリを開発した。習近平国家主席の指示、談話、画像が大量に収録され、クイズ形式になっている。「学習強国」とは「習に学んで強国になる」の意味。習近平思想を学び、クイズに答えてポイントを稼ぐ仕組みで、ポイントが高くなるほど習近平への忠誠度も高いと見なされ、仕事の業績の一部として評価されるという。当初の対象者は、共産党員や政府職員だけだったが、メディア記者の資格要件にも対象が広げられた。そのうち、全国民が対象になり、国民の思想統制が行われることになるのだろう。まさに、毛沢東語録の先を行く習近平語録なのだ。先日その習近平が上海を視察した際「全過程の民主」という言葉を用いて、中国式民主主義について言及した。重要な立法の決定は民主的な下相談を経て、科学的な決断や民主的な決断を通して決められると述べたのだ。言葉づらでは西欧の民主主義とそっくりだ。民主主義の無い中国にも民主主義が誕生するのかと思ったが、全く違う。言葉の定義が違うのだ。民主主義国家では、民主とは「民が主」だが、中国では「民の主」なのだ。言葉の壁が相互理解を難解にさせている。