お茶を濁すこと

トルコのサウジ領事館内でサウジ国民の記者が殺害されたとのニュースが流れた。普段なら大した話題にならない事件だ。だが、その記者はワシントンポストに寄稿する程の英語圏のジャーナリストだ。欧米でジャーナリストが暗殺されれば大事件になる。その後の各国の対応が、まるでテレビドラマ仕立てそのものだ。事件が分かったのはトルコの盗聴によるものらしい。記者が領事館に入り、プライベートジェット機で入国した殺し屋集団が直後に入館し、数時間後には退館してトルコを離れたという。指示はムハンマド皇太子から出たと言われている。手足をノコギリで切断されたというから生々しい。しかし、大事件のはずだが米国も英国も騒ぎ立てる様子は無い。それもそのはず、サウジは米国と英国の武器売買のお得意様だ。しかも、中東でイランと対立する立場にある。そうでなければ、米国はムハンマド皇太子に鉄槌を浴びせるはずだ。ところが、トランプは急遽ポンペオ国務長官をサウジに飛ばした。ここがポイントだと思う。単に米国がサウジに厳罰を与えるだけならば、状況を判断するだけで済むはず。敢えて国務長官を現地に行かせたということは直接ムハンマドと会話する必要があるということ。通信文書には残らない直接の会話が必要だったということだろう。答えは簡単だ。ムハンマドは犯人ではない。ムハンマドは拘束を指示したが、部下が誤解したとか、いき過ぎたとかということでお茶を濁すことになるに違いない。これはあくまで自分の勝手な推測だが、数年後には真実になると思っている。