糟糠の妻は堂より下らずなのか

「糟糠の妻」という言葉がある。貧しい頃から共に苦労を重ねてきた妻という意味だ。正に人生の同士という存在といえる。少しばかり出世したからといって、苦労を共にした妻を裏切ってはいけないという意味で使われることが多い。反面「糟糠の妻は堂より下らず」という諺もある。貧しい頃から苦労を共にしてきた妻は、立身出世ののちも離縁するわけにはいかない、という意味だ。この「糟糠の妻は堂より下らず」にピッタリなのが首相の昭恵夫人に見える。もっとも、夫人が共に苦労を重ねてきたかは知らないが。昭恵夫人は奔放だ。一個人としてはユニークで面白い。だが、首相夫人としては如何なものか。安倍の母には離婚を迫られた。だが既に仮面夫婦なのに頑強に拒否。でも一時は安倍の家庭内野党として脚光を浴びた。その頃は、権力を恐れない何と知性のある女性かと好評を泊した。多分夫人は首相に言いたい放題言えたのだろう。そこで勘違いをしたのかもしれない。自分の口利きで世の中が動く事を知った。長らく見送られていた京大の研究費が夫人の口添えで数千万円も付いた。森友学園などの名誉職も積極的に受けて講演もした。挙げ句の果てが、あの森友問題だ。自分の立場が、周りの人に如何に忖度をさせるかを知らなかったのだろう。端的に言うとバカ。その夫人が今はインスタグラムに嵌まっているという。年齢から考えればバカの上塗りだ。自分は何でこんなバカな内容をこのブログに書いてしまったのだろうかと反省している。「朱に交われば赤くなる」のかと、反省した次第。