洋風かぶれの戯言

都議選が行われたのが7月。都民ファーストと公明が過半数を制したのは記憶に新しい。そして、3か月後の衆院選。ファースト様々と靡いた前原民進が雪崩のように靡いてしまった。勝ち馬に乗れば勝てるという訳では無い。その時は勝ち馬でも、続くとは限らない。それが現実になってしまった。何故希望の党は、脆くも敗れ去ってしまったのだろうか。最後に踏ん切れなかった小池、元々統治能力に欠ける若狭、党の主張を消化不足だった細野、これらが張本人だと思う。でも、若狭と細野の罪は軽い。何故なら廊下鳶のようなものからだ。だが、小池の重さは違う。小池は終始都知事に留まる様な発言をしていた。違う。時が来れば出馬しようとしていた。世間では「排除の論理」発言が水を差したと言われている。でも自分は違うと思う。「排除」の次に「自ら出馬」があれば、事態は変わっていたと思う。従って、敗因は「出馬取りやめ」にある。関ヶ原の合戦でも同じ事だが、物事を決する時に、お頭が外国で物見うさんするはずがない。現場にいるものだ。しかも、小池はパリで「鉄の天井があった」と宣った。ガラスの天井とは、ヒラリーが米国の女性蔑視の比喩として言ったことが言葉だが、ガラスを鉄に変えた意味は何なのだろうか。いくら考えても思いつかない。小池は流行りの言葉で他人を煙に巻くのが得意だ。ファーストもそう、鉄の天井もそう、挙げ句の果ては、ベーシックインカムとほざく。洋風かぶれの戯言に聞こえてくる。