エイプリルフールの定義変更

今日はエイプリルフールなのに、テレビから「エイプリルフール」の言葉が聞こえてこない。何故なのだろうかと不思議な気持ちになった。一昔前はエイプリルフールって言葉や行事が当たり前だった。半世紀以上も前の自分が子供の頃はエイプリルフールが楽しかった。その楽しさが十数年前までは続いていたと思う。子供の頃は勿論、大人になっても、4月1日は特別の日だった。普段は嘘をつくと怒られるが、今日は嘘をついても良いと言われた。朝から、どのような嘘をつこうかと考えたものだ。考えること自体が面白かったし、周りが引っかかれば得意満面してやったりと楽しかった。何故「エイプリルフール」が死語になってしまったのだろうかと考えてみた。嘘をつくということ自体が自分を裏切る行為だから、本来は楽しくない行為だ。本来は偶に行う行為だったが、近年はあらゆるところが嘘で固められている。政治もソー、経済もソー、マスコミもソー。嘘で塗り固められた世の中だから、今更「エイプリルフール」など代わり映えしないのは当然だということに気付いた。いっその事「エイプリルフール」を、嘘のつかない日と改正してみたらどうだろうか。バカ正直という言葉がある。これも死語だ。でも貴重だ。死語が復活・誕生する日を望みたいものだと思う。