公約という名の御呪い

選挙公約ほど当てにならないものは他に無い。いまは英国のEU離脱派の公約反古が騒がれているが、日本の衆参院選の政党公約でも、米国の大統領選の公約でも全く同じだ。英国では投票結果が出た直後に反古にした。日本では当選後も公約達成を目指すとは言うが実現した試しはない。米国では大統領になった途端に手の平を返す。僅かな違いはあるが、共通しているのは「公約は実現しない」という現実だ。英国の事は昨日このブログに書いた。日本では昔から選挙公約はあったが、内容が抽象的で曖昧であるためアジェンダに替わった。ところが数値目標を明確にするアジェンダでは、実績とのズレが大き過ぎて批判を受ける。そこで最近はアジェンダとは言わずに昔通りの公約に戻ってしまった。勿論曖昧さと伴に。米国では、ビル・クリントンは中間層の減税を公約していたが就任してから財政赤字削減に乗り換えた。子ブッシュは他国の国造りに関与しないと公約したが中東に大量の兵を送った。オバマは共和と民主の中道政策を約束していたが共和党が猛反対する新医療保険制度の成立に邁進した。数え出したら限が無い。政治の世界では、公約とは票を確保するための御呪いみたいなもので、政権奪取後の政策とは殆んど関係のないものとみるべきなのだろう。米国大統領選が近づいている。ヒラリーは前言を翻すことが多い。筋の通った主義主張がないから米国民から嫌われている。一方トランプは論理的に矛盾に満ちた意見を連発している。どちらが大統領になっても、言ってる事からやる事を推測するのは不可能だ。日本では参院選が近づいている。何を拠り所に投票すべきか悩みは尽きない。