戦後という時代の終わり

G7外相らが揃って広島市の平和記念公園を訪れ、平和記念資料館を見学、原爆死没者慰霊碑に献花した。核保有国の米英仏の現職外相が平和記念公園を訪問したのは今回が初めてだ。G7として初めて核軍縮・不拡散について広島宣言を発表し、核兵器のない世界の実現に向けて世界の指導者たちに広島・長崎を訪問するよう呼びかけたことは大きな成果だと思う。5月のG7伊勢志摩サミットに先立ち、G7外相会合を広島で開いたことには意味がある。ケリー国務長官が米国の現職閣僚として始めて被爆地を訪れた。今まで原爆を投下した米国は政府関係者の被爆地訪問を見送ってきた歴史がある。あの悲惨な原爆資料館を観れば、たとえ戦争と言えども米国民であれば謝罪せずにはいられないだろう。ところが、米国での原爆投下に対する評価は、早期の戦争終結をもたらし、米兵士の犠牲も最小限に抑えたもので、正当なものだったという見方が強いという。だからケリー長官は、遺憾の意は表したが謝罪はしなかった。問題はオバマ大統領が平和記念公園を訪問するかだ。オバマ大統領は就任早々プラハで核兵器のない世界を目指すと宣言した。そして任期の最後に広島訪問をすれば大統領としてレガシーを残すことになる。オバマ自身は広島訪問の実績を残したいと思っているはずだ。だが米国世論がどちらに動くか分からない。恐らくケリー長官の広島訪問はそのリトマス試験紙だったに違いない。日本国民は誰もケリー長官に謝罪の要求などしなかった。ケリー長官は最初ビクビクしていただろうが、相当安堵したことだろう。それがオバマに報告される。戦後70年目にして、やっと米国大統領が広島を訪問する日が実現するかもしれない。同時に戦後という時代が終われば、それに越したことはない。