聖火台のない五輪スタジアム

新国立競技場がまたまた物議を醸し出している。ザハ案は建設費が高過ぎるとクレームがついて再びデザインコンテストが行われ、建築家の隅案に落ち着いた。隅案のレイアウトはザハ案の丸写しではあるが「木と緑のスタジアム」に表面上変身。だが東京五輪のメイン会場なのに聖火台の設置場所がすっぽり抜け落ちていたようだ。五輪の規定では、競技場の何処からでも見える位置に設置することと決められているらしい。でも、隅案は木製。どこに置いても木材が燃えてしまう危惧がある。選考した連中は、そもそも五輪の目的や意義や規定をどう考えていたのだろうか。初めから如何に利権を行使するかだけに腐心していたのかもしれない。結局、誰も聖火など考えていなかったという事に違いない。本筋はそこにあると思うが、枝葉末節な見方もあるようだ。聖火台設置の費用を誰が払うのかという些細な問題だ。五輪組織委員会と日本スポーツセンターが、どちらの費用にすべきかと些細な事で揉めている。だが、どちらも我らの税金で賄われている。謂わば、税金を払うスポンサーである国民をそっちのけで、雇われた者同士が罪のなすり合いをしている構図だ。小物だけが集まっている利権集団と見える。はてさて、何故このように揉めるのか。全ての原因は、統括する指導者がいないことに尽きるのだろうと思う。招致成功時点では、国立の施設といえども猪瀬都知事がやるべきだった。だが今はいない。と言う事は、舛添都知事がやるべきものだ。舛添は都知事に就任して以来、五輪に対し岡目八目の立場を通している。これがそのそのも間違い。五輪準備迷走の元凶と言える。東京という都市に五輪を招きながら、東京都知事が旗も振らず他人事の意見を言っている。全くおかしい。舛添が悔い改めるのは今からでも遅くは無いと思うのだが。