クラス会に出席して

今日は恒例の高校クラス会。毎年の事だが、同級生のカミサンと自分が下働きをして参加者を集計し幹事に報告する。幹事は馴染みの店を予約し人数を知らせる。そして当日、生存者は47名に減ったが、21名が参加することになった。昭和39年度の卒業生だから、卒業してから50年にもなる。何と半世紀も前に卒業したのだ。そして今回は、数十年ぶりの人が二人も現れた。二人にとって、顔は分からない、勿論名前もわからない状況からクラス会は始まった。しかしそれも束の間だ。話し始めると昔の記憶が蘇えって来る。楽しいひと時だ。10年前位からこれを繰り返し、当時十数人ちょっとだったクラス会参加者が21名に膨らんだ。だが、このクラスは少し変わっている。偶々1週間前に同期会があったが、我がクラスの出席者は皆無。そして今日のクラス会は、連絡のつく人の出席率は9割以上。しかも欠席者の欠席理由は個人的なやむおえない事情の持ち主。偏向しているのだ。だが、それには理由がある。当時の我が高校は、何処にでもある普通の高校だった。ところが進学校を目指し、特殊教育をすることになった。その特殊教育を受けたのが我がクラス。生徒を実力テストで順番を付ける。そして上位50人を1クラスにして教育を始めた。レベルが同じなので授業は受け易かったので、効率は良かった。勉強は捗った。だが、失ったものもある。このクラスは、他のクラスから浮いてしまった。だから同期会には参加しない結果に陥っている。いまこのクラスの価値をどう考えたら良いのだろうと思う。21名の参加者という事実が、間違いではないということを物語っていると思う。更に我が母校が、今を時めく進学校として発展していることを少し嬉しく思う。でも、全てが良いということなど世間には存在しないのだ。