新聞の価値

新聞、通信、放送各社が参加して新聞大会が開かれた。大会の終わりに「新聞は平和と自由を希求し多様な言論で国民的議論を深化させる役割を担ってきた。報道の自由は民主主義の根幹であるのに、政界から軽んじられる風潮がある。我々はいかなる圧力にも毅然たる態度で臨み国民の知る権利に応えていく」と大会決議した。だが本命は「知識に課税すべきではない。消費税の軽減税率制度の対象に新聞代を入れるべし」との特別決議にあるようだ。一見真面なように聞こえるが、決議文と実態が乖離し過ぎていてこじつけとしか聞こえてこない。新聞が本来担うべき理想的な責務と、それとはかけ離れた現実の実態が混同されているからだ。現実に、新聞は事実を抉って報道しているのだろうか。新聞記事の殆んどは、政府情報の垂れ流しと通信社情報の転載だけだ。偶にある抜け駆け記事も、官僚から故意に流された裏情報で、官僚の広報役として利用されているに過ぎないのが実態だ。御用新聞が「国民の知る権利に応えていく」などとは烏滸がましいかぎりだ。「多様な言論」とは言っても「朝日、毎日、東京」対「読売、産経」の対立に過ぎず「日経」は都合の悪い個々の会社情報は慮って記事に載せず当たり障りのないものしか書かない。今の日本の新聞を読んでも国民は真実を知ることが難しい。新聞は生きた情報としての価値は低い。知識に課税せず、と言うからには、価値ある知識を提供すべきだ。少なくとも今のままでは、軽減税率制度に値する価値などあるはずがない。従って、新聞は増税と共に発刊部数減少の道を辿ることになりそうだ。