9月11日の戒め

今日は9月11日。東日本大震災の4年半後の月命日であるし、米国同時多発テロ事件の15回忌の日でもある。一昨日までは、テレビは大震災や米国テロの特集を放映するものと思っていた。ところが突如大豪雨が関東を襲い、今日は朝から夜中まで豪雨の爪痕のニュースに明け暮れた。その中でも最大の被害を被った常総市の惨状が痛ましい。でも、今まで経験をしたことが無い豪雨とは言え、何か割り切れない気持ちになるのは自分だけなのだろうか。天災は防げない。防げないのは天災のパワーだが、そのパワーを前もって少しでも想定出来れば緩和することは出来たはずだ。何故出来なかったのだろうか。10年近く前平成の大合併により、水海道市が石下町を吸収合併し常総市が誕生した。鬼怒川と小貝川に挟まれ低地が多い。それまで二つの川は何度も洪水を起こしてきた事実がある。謂わば常総市は洪水経験のスペシャリストとも言える。ところが避難勧告が後手後手に回った。驚いた事にスペシャリストの常総市は、何と洪水に対する対策を取っていなかったとのこと。最早これまでという時に、国交省から促されて勧告を出したという。時既に遅し。多くの人が行方不明になってしまった。大きな災害になってしまったのは、常総市の怠慢が原因の一つだと思う。常総市の怠慢は責められるべきべきものだと思うが、反面矢張りと思うところもある。誰しも大きな失敗をして反省をした経験があるはずだ。失敗をした時真摯に反省し、二度と過ちが起こらないよう考えられる最善の対策を立て、実行することを口で誓う。だが、時が過ぎると、誓った言葉が実行されたような気になり、実行されずに終わることは多い。事実自分は何度か経験してきた。頭の中で解決すると、あたかも現実に解決したような気分になってしまうのだ。地震もテロも水害もあらゆる事故も根は同じだ。反省を着実に実行することこそ同じ過ちを未然に防ぐことになるはずだ。自分には出来ない部分もあったが、行政には厳しく求めたいものだ。