権利と義務の誤訳

我が家のすぐ近くに保育所と幼稚園がある。この辺りは昔ながらの閑静な住宅街なので普段は静かで余り物音は聞こえない。これまでに保育所や幼稚園があることで、迷惑を被ったことは一度もない。寧ろ、そういう施設が近くにあることは良い事だと思っていた。今から十数年前は、少子化云々は兎も角本当に幼児が減り、我が家の近所でも赤子の声を聞くなど皆無だった。当時の現実的な感覚として、日本中から幼児がいなくなってしまうのではないかと心配に感じるほどだった。それが最近では、我が家の脇の道でも小学生が楽しそうに遊びながら時々歓声を上げている。やっとこの界隈にも活気が戻ってきたのだと嬉しく思っていた。現在は共稼ぎと幼児が増えて待機児童が激増している。それに伴って保育所作りが盛んなようだ。ところが、それが社会問題になっているという。一体どういうことなのだろうかと不思議に思った。偶々ニュースに映し出された保育所作りに反対意見の老人は「騒音防止の為3mの防音壁を設置し自宅前の幅6mの道路には保育園の入口を作るな」と要求していた。十歩下がったとしても、それは無理難題だと言うものだ。考えられない言動だ。でも、そんな意見がまかり通る時代なのかもしれない。そこで昔の「権利と義務の誤訳」という話を思い出した。細かいことは後日このブログに書いてみようと思うので今回は省略する。でも言いたい。「権利」とはrigthの和訳。「正しい」ことであり「自分の利益のために主張するためのもの」であることではない事を。この訳を99%の日本人が誤解しているのが現状だ。誤訳の影響は大き過ぎる。