ピュリツァー賞の存在意義

米紙ワシントン・ポストとガーディアンUSがピュリツァー賞を受賞した。受賞理由は、エドワード・スノーデン元CIA職員からの情報提供を受けて、米国家安全保障局NSAによる通信傍受などの情報収集活動の実態を明らかにした功績。ピュリツァー賞は米国の新聞が対象で「社会的不正義と当局の汚職の摘発」が審査基準になっている。米国政府は汚い諜報活動がバレバレになり立場が無くなってしまったが、NSAの活動に制約をかけることが出来たのだから受賞は当然の結果だろう。ピュリツァー賞が存在するということが、米国のジャーナリズムが正常に機能しているという証と言える。翻って日本のジャーナリズムはどうだろうか。閉鎖的な記者クラブで、政府から発表されたものを垂れ流しているだけで、謂わば政府の広報係りに過ぎない。ジャーナリズムのジャの字もないのが実態だ。もしピュリツァー賞が日本に適用されたとしても受賞出来る新聞社は存在しない。勿論日本版ピュリツァー賞を創設しようという機運など皆無だ。朝日も読売も毎日も受賞記事を載せてはいるが、単に通信社の記事を転載しているに過ぎない。もし社説として取り上げることが出来れば、日本のジャーナリズムも正常に機能し出したと見做すことが出来るのだが。道は遠い。