議事録の重さと軽さ

政府が閣議の議事録を作成し3週間後を目処に公開するとの方針を明らかにした。何を今更とは思うが、驚くことに明治以来閣議の議事録が作成されたことはない。150年近くも異常状態が続き、未だに近代国家とは言えない状態だ。強引に通した特定秘密保護法の見返りとして情報公開に努める姿勢をアピールするのが狙いなのだろう。だがアピールだから実行するか分からないし、たとえ実行したとしても何時止めるのかも分からない。その証拠に、公明は法律で作成を義務付けるよう求めたが、現行の法律を改正せずに解釈の変更で乗り切ろうとしている。腰の引けている様子が窺える。その時の内閣の都合で法律を勝手に拡大解釈してしまうことは、スポーツで言えば自分に有利になるように勝手にルール変更するようなもので問題が多過ぎる。東日本大震災の時の菅内閣の対処は、会議の議事録も作成しなかったので、結局藪の中だ。責任の所在も分からないし反省すらも出来ない。きちっと法律を改正すべきだと思う。反面、閣議の内容を全て公開などして大丈夫なのだろうかとも思う。たったの3週間で公開出来る程度の内容しかないのだろうか。議事録が作成されるようになると、大事な案件は閣議以外の会議で決定されることになるのではないのだろうか。色々考えてみると、アピールが単なるポーズに過ぎないように見えてきた。