難しい「創作」の定義

クラシック音楽界がゴーストライター問題で揺れている。現代のベートーベンと呼ばれた全聾の作曲家が、自分自身では作曲せず18年間もゴーストライターに作らせていたとのこと。楽曲全体の構成は本人が立案し、各パーツはゴーストが創作していたようだから、本人主体だったとも受け取れるし、一方本人は楽譜も読めなかったようだからゴースト主体だったとも取れる。いずれにしろ今後本人の品性、才能、言動が問題を決着させていくことになるだろう。兎角創作活動は創作の定義が難しく、オリジナリティの範囲は曖昧だ。例えば、嘗て五木寛之がテレビで「原稿を編集者に渡すと真っ赤に修正され突き返させられる。これでめげていると小説家にはなれない」と言っていた。かの大作家でも100%を本人が創作しているのではないようだ。更に創作と模倣の境界も曖昧だ。「あらゆる小説は模倣である:清水良典:幻冬舎新書」によると、あらゆる小説は外部からの取り込みが皆無のものなどあり得ないものらしい。CD「交響曲第1番HIROSHIMA」はクラシック界では異例の十万枚以上の大ヒットだったようだ。CDの購入理由は、作品のオリジナリティに感銘を受けたからなのか、あるいは作曲者が全聾であることに興味を持ったからなのか、はたまた作曲者が被曝二世だからなのか。人には夫々の思い入れがあるのだろう。