万葉集か新古今集か

昨日の夕方、宿泊先のホテルに向かうタクシーの中で、運転手が言っていた。雲に覆われた富士山頂を見上げながら「今バンバン雪が降ってますよ。明日は綺麗ですよ」と。そして今朝は快晴で、朝日が眩しいくらいだ。久々に間近で見る冠雪の富士山が、その美しさを上から圧倒してくる。富士市は富士山頂から駿河湾までの間に遮るものが何もない位置にある。山頂で降った雪や雨がダイレクトに海に流れ込むように感じるほど何もないのだ。よく富士山の美しさは、山梨側から見る方が綺麗か海側からかといつも論争になる。富士市でトータル20年近く暮らしたからという理由ではないが、間違いなく海側から見る富士山が一番映える姿をしていると思う。だが40年前は製紙会社のヘドロで田子の浦港は猛烈に異様な臭いがしていた。多分この時は山梨側が勝っていたのだろう。しかし今はヘドロも片付き水も綺麗になった。海側の勝利は間違いない。何故なら「田子の浦ゆうち出でてみれば真白にそ富士の高嶺に雪はふりける」と詠んだ大昔の山部赤人も応援団だ。万葉の時代から山梨ではなく海なのだ。話は少しずれるが、新古今集では「田子の浦にうち出でてみれば白妙の 富士の高嶺に雪は降りつつ」と変わっている。万葉集では「田子の浦を過ぎた所で雪が積もっている富士山が見えた」という意味で、新古今集では「田子の浦から見ると富士山頂に雪が降っているのが見える」という意味になる。タクシー運転手は新古今集の時代に生き、自分は万葉集の時代に生きているということなのだろう。