教育とコンプレックス

今年の全国小学校学力テストで国語の平均正答率が全国最下位になったのは静岡県だった。静岡の川勝県知事は下位100校の校長名を公表すると憤っている。知事の考えは「全国学力テストの成績が悪いのは、子供にではなく先生に責任がある。このテストは先生の教育力テストそのもの。現行制度では学校名を公表するのは禁止されているので校長名を公表する」というものらしい。これに対し文科省と教育長は「学校名は公表しないルールになっている。校長名イコール学校名だ。校長名の公表はやってはならない。校長名を公表するというペナルティーが教育上プラスになるのか。」と反論している。しかし両者とも間違っていると思う。まず川勝県知事の誤り。成績が悪いのは子供ではなく先生にあるとしていること。どんな優秀な先生でも馬鹿な子を人並みに育てることは困難だ。先生がダメとは限らない。それと学校名を公表することが禁止されているから、その代わりに校長名を公表するということ。だが学校名イコール校長名ではない。教育という国にとって大切な仕事を、単なる個人の責任に転嫁してはならない。一方文科省の誤り。全国学力テストの学校名を公表しないとしたこと。諸悪の根源はここにある。全国学力テストを全国津々浦々一斉に実施し、その結果を全て国民に公表すべきだと思う。出来の悪い学校は良い学校のやり方を学ぶことになるだろうし、良い学校は増々学び方に磨きをかけることになるはずだ。ビリの学校ほどヒッチャキになって脱出を試みるはずだ。そういうエネルギーが成長に繋がる。昔からコンプレックスが成長を促すことは自明の理と言われているのに、教育関係者は分かっていないようだ。コンプレックスの威力を自覚すべきだと思う。