松坂屋はどう生まれ変わるのか

関東大震災を挟み、凌雲閣は倒れ松坂屋は建った。その松坂屋が取り壊されることになったとのこと。松屋や三越よりも一足早く開店し当時は西洋化の象徴であったらしい。百貨店としては初めて履物を脱がずに土足で入れるようにし、エレベーターの導入も初めて。屋上には動物園まであった。自分が初めて行った50年前頃でも松坂屋には勢いがあったように記憶している。去年の春頃銀座のフェルメール展を観た後に偶々松坂屋に寄ったことがある。店内は中国人観光客相手に改装されていて昔の面影はなかった。日本人の足が遠のいた松坂屋が生き延びるため、中国人相手の商売に方針を大転換しそれに賭けたことがヒシヒシと伝わってきた。その後尖閣諸島国有化により中国人観光客が激減したので、松坂屋が潰れるのは時間の問題と思っていた。元々建て替えは遅きに失したように思う。銀座は今でも一等地。後ろ向きな需要を拾うのではなく、前向きな需要を求めるべきだったはずだ。再開発によるニュー銀座を計画していれば、人の流れを引き戻していたかもしれない。間違っても今の松坂屋を模した建物を建てるべきではない。魅力のあるニューコンセプトが必要だと思う。