体罰と親の務め

最近指導者による暴力沙汰が新聞を賑わしている。桜宮高校バスケ部の事件を筆頭に、網野高校レスリング部の体罰や柔道の園田監督が暴力的指導を選手から告発された事件など毎日事欠かない有様だ。マスコミが体罰にスポットを当てているので数が多いとも言えるが、まだまだ暴力指導が蔓延っているのが現実なのだろう。悲しいことに指導者を指導する指導者が必要なようだ。これを契機に暴力指導者が一掃されることを願いたい。しかし一方では何から何まで指導者の所為にする行き過ぎた事例もある。学校の先生に「下手くそ、馬鹿たれ」と言われた生徒が不登校になってしまい、学校が親に陳謝したとのニュースがあった。この生徒を不登校にさせたのは一体誰なのだろうか。先生ではない。親なのではないのだろうかと思う。この程度の事で子供を学校に行かせることが出来ない親には何らかの欠陥があるはずだ。子供教育の最終責任者は親であるということの自覚がないのだろう。過保護は子供をひ弱にするだけだ。世の中の人は弱き者の味方が好きだから、先生対生徒であれば生徒に味方する。しかし親はそれに甘んじて子供を庇い過ぎてはいけない。困難な山にも挑戦させていくのが親の務めだ。その繰り返しで子供は育っていく。