暴力指導者の座右の銘

大阪のバスケ部主将の高校生が指導者の体罰を受けた結果、不幸にも自殺したとのこと。昔は、スポーツとは、根性とは、と言うと少なからず暴力団紛いの指導者がいるのが当たり前だった。しかし時を経るとともに、今では何が何でも暴力を否定するのが常識となっている。そこで昔と今の高校の暴力は何が違うのだろうかと考えてみた。簡単に言うと、昔は高校生を育てるために敢えて暴力をふるったように思う。しかし、現代の先生である指導者は自分の実績を残すために生徒に対し蛮行を振るっているようにも見える。単純に言うとこれが結論だ。自分はイジメを受けたことはあるが生涯体罰を受けたことはない。しかし自分の長男が軽い体罰を受けたのを見たことはある。少年サッカー団での出来事だ。練習もままならず負けてばかりいる長男たちに、活を入れるためコーチがスリッパで子供たちの頭を引っぱたいていた。そして罰は1周400mのグランドを5周。ひどいコーチだとは思ってはいたが、結果として長男はサッカーも上手くなったし根性も基礎体力もついた。今はその根性と体力が社会人として役に立っているようだ。その後コーチとは年賀状を今でもやり取りしている。体罰も捨てたもんじゃない。要は「過ぎたるは及ばざる如し」と言うことだろう。格言は真理を突いている。少なくとも指導者になろうとする者は諺を勉強し、それを指導の座右の銘にすべきだと思う。大阪の指導者は果たしてどのような格言を信奉していたのだろうか。唯我独尊か。