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30日 1月 2013
安倍政権で初の国会論戦となる各党代表質問が始まった。テレビニュースを何気なく聞いていると、何時にもなく力が入っている。アベノミクス効果で政治家もいよいよ活性化したのかと思いテレビ画面を眺めてみた。安倍、海江田、平沼、高村らが気合を入れてじゃべっている。ところが何か変だ。4氏とも議員に対してしゃべっているのではない。原稿台に向かって吠えているのだ。要は原稿を読み上げているだけ。迫力を増したいがために力んでいるに過ぎない。この光景は小学校の児童劇よりも劣る。小学生は台本を見ないで演技が出来る。政治家の仕事の一つは人を説得することだ。主義主張の一つや二つを原稿を見ずにしゃべれない政治家などが人を説得出来るはずがない。代表質問者は小泉や野田の爪の垢を煎じて飲む必要がある。更に何故吠えるのかを考えてみた。今から50年以上も前はラジオ中継が全盛だった。国民はラジオを聞きながら、その内容と迫力で政治家を判断した。原稿を見ようが見まいが、内容と迫力がものをいった時代だ。ところが今はテレビの時代。原稿に向かって吠える政治家が如何に頼りなく映るかを理解していない。果たして半世紀遅れの政治家に日本の将来を託すことが出来るのだろうか。
29日 1月 2013
ボーイング787のバッテリー出火事故が深刻な問題に発展している。全日空では2月に400便近くが欠航するという。問題の解決には相当な時間がかかりそうだ。単純な電気系統の配線ミスによるもであれば比較的短期に済むだろうが、リチウムイオン電池をより安全なニッケル水素電池に替えるとなれば認可等に1年はかかるらしい。直接原因は兎も角、問題の根っこはボーイングの米連邦航空局との馴れ合いと、モジュール製造法にありそうだ。米連邦航空局は米航空業界が定めたリチウム電池の厳格基準の適用を見送っていたことが明らかになった。専門家は大型リチウム電池に必要な冷却機構がないのに驚いているとのこと。米連邦航空局は米公聴会でも真面な回答が出来ず不信を招いている。更にボーイング自体も、トヨタのモジュール製造方式を形だけは真似てみたものの、その真髄が理解出来ずにコストが嵩み開発期間も長引き、結局失敗に終わったようだ。2001年に本社をシアトルからシカゴに移したことでトップの本業軽視と航空局への圧力が増長し、結果としてそれが今回の徒になったように見える。浮ついたトップの盲判断が会社を傾けることは世の常なのに。
28日 1月 2013
来月24日で任期が終わる韓国の李大統領の周辺が騒がしい。李大統領が恩赦を発動することに対し、朴次期大統領が反対している。韓国では恩赦が大統領任期終了時の恒例行事になっている。恩赦は憲法上大統領の固有権限ではあるが、司法権を行政権が変動させる性質のものであるから発動を頻発させるのは好ましくない。特に李大統領は4年前の就任時から政治的恩赦をなくすべきと主張してきた人物であるから、その変貌ぶりには驚かされる。恩赦の対象には、身内や側近も含まれているらしい。韓国では「無銭有罪有銭無罪」という言葉が広まっているとのこと。金品の不正をした者を恩赦にしては国民が怒るのも無理はない。それにしても李大統領という人はよく変わるものだ。当初は親日家であったが突如竹島に上陸し反日感情を決定的なものにした。そして恩赦発動反対から、反対されても恩赦発動へと変わった。「君子は豹変し天子は激変す」とは良い意味で使われるが、「大統領は醜変す」とでも言うのだろうか。
27日 1月 2013
テレビ本来の役割は何だろうかと思わせる出来事がある。報道精神を生かし真実を伝えることか、はたまた面白おかしく世相を煽る事か。どうやら日本経済新聞系のテレビ東京も、後者に重きを置いているように見える。昨日土曜日の昼のバラエティー番組は「現状打破TV」が予定されていたらしい。事前に漏れた内容では、何とあのiPS細胞による治療の大半をウソで固めた森口尚史が出演する予定だったらしい。森口はウソがバレテしまい研究では生きていけず訳の解らないタレントに転向している。何とそのタレント森口にスポットを当てようとしていたのだ。この番組はテリー伊藤と爆笑が司会し、他には紅白に漏れた小林幸子や美川憲一らが出演予定だったとのこと。趣味の悪い訳あり人間のオンパレードだ。もしこの番組が放送されていたらテレビ東京の明日はなくなっていたのではないかと思う。幸か不幸か番組は「編成上の都合」という理由でボツになり、急遽別番組に差し替えられた。テレビ東京と言えば、WBSやカンブリヤ宮殿など所謂知的な番組が多い。しかしこの一件で見方が変わった。テレビとは基本的に低俗なものだ。WBSにしてもカンブリヤにしても、きっと汚い裏があるに違いない。テレビの根幹を揺るがせる出来事であったと思う。
26日 1月 2013
貿易収支が過去最大の赤字になったと騒いでいる。日本企業の多国籍化が進み、日系企業からの輸入も増える時代だ。単純に輸出額と輸入額の差である貿易収支で国際競争力を評価するのは実体にそぐわないのではないか思っていた。ところが先日OECDとWTOが付加価値の流れを追う新しい貿易統計を公表した。この統計は、複数国に生産拠点が分散する国際分業の場合でも通商関係の全体像を把握出来るのが特長だ。例えば、日本から60ドルの部品を中国に輸出し、中国で完成させて米国に100ドルで輸出した場合、日本が60ドル、中国が40ドルそれぞれ米国に輸出したと計算する。因みに従来の統計では、日本が中国に60ドル輸出し、中国が米国に100ドル輸出したと計上していたので、中国など最終製品を輸出する国の国際競争力が過大に評価されていたことになる。新しい統計法は、付加価値がどの国でどのくらい作られ、最終的にどの国でどれだけ消費されたのかが分かる優れものだ。すでに大量生産では、日本は中国や韓国には敵わない。付加価値を高めた製品開発こそがこれからの日本の生きる道に違いない。何か明るい日本の未来が見えてきたような気がする。
25日 1月 2013
ここ10年来、冬に一度は通い続けている店がある。この町の老舗の割烹料理屋だ。今日も義母とカミサンと自分の3人でお邪魔をした。オーダーは決まって、フグのフルコース。理由は単純、美味しいし自分が鍋を好きだからだ。鍋料理を見るといつも思う。若い頃はあまり好きではなかった。好きになったきっかけは単身赴任をした時から。単身赴任の7年間のうち、5年間は寮にいれば自分で夕食を作っていた。特に冬は寮に帰るのが楽しみだった。帰り道で今日は何の鍋料理にしようかと思い巡らしていた。途中のスーパーで食材を調達する。牛のしゃぶしゃぶや牡蠣鍋や寄せ鍋など何でも御座れ。しかし付けダレは、必ず大根おろしにボンズと七味と決めていた。この組み合わせが最良の鍋料理と思っている。ところがこの単身赴任中に思ったのだ。先日「ピンクのクラウン」で書いた「いつかはクラウン」のように「いつかはテッチリ」と。やがて単身赴任も終わり、我が家に戻った。何を食べたいのとカミサンが問う。決まっているじゃないか、フグ鍋だよ、と答えた。それ以来、義母と会食する冬の料理はフグ鍋となった。しかし鍋だけが好きなわけではない。鍋料理の神髄は、最後の雑炊にある。全てのエキスが煮詰まった雑炊こそが料理の王様だと思う。最後の雑炊を食べたいがために鍋料理のオーダーは続いていく。
24日 1月 2013
原発事故で大被害を被った福島県双葉町が大変なことになっている。放射能汚染が酷く役場を臨時に埼玉県へ移したが町長と町議会が揉めている。町長はジュネーブまで行って世界に向けて原発事故は収束していないことを訴えたり、中間貯蔵施設の受け入れに猛反対をしていて、国との対決にはアグレッシブだ。しかし町議会は、町長が仮設住宅にも訪れず町民の意見を国に届けてくれない、と町長に批判的。昨年12月に町議員が全会一致で町長不信任案を可決したが、町長は辞職せずに議会を解散した。もうすぐ町議員選挙になるが、立候補したのは解散時の議員8名だけで無投票当選になる見通しとのこと。そして昨日町長が突然辞意を表明した。辞職の理由は明かさないが、再度不信任案が可決されるのが見え見えだからだろう。町長や町議員が居ようが居まいが双葉町には、福島県内への役場再移転、中間貯蔵施設、区域再編、町民の帰郷や健康問題等々すぐにやるべき課題が山積している。この町長は物事の順番を間違えていると思う。町長がまずやるべき事は、町や町民の現状把握に基づく救済対策だ。それをやらずして町長の責務は果たせない。地に足がついていない只の頑固親爺では町民が不幸になるだけだ。
23日 1月 2013
この4月に定年を迎えるはずだった埼玉県の100人以上の教員たちが、こぞって1月末に辞めることになったらしい。理由は駆け込み退職。問題の発端は昨年11月に成立した改正公務員退職手当法による減給。ケーススタディによると月給40万円の先生にとっては生涯給与が約70万円減ってしまうという話だ。本来教員は何時辞めるのも自由だ。しかし、卒業間近な3年生を送り出すべき教員が70万円のために、残り僅かな日数しかない3年生を見送らずに辞めてしまって良いのだろうか。埼玉県知事は、教員の無責任さに不快感を露わにするものの反面では、損はするが辞めるはずがないと元々高を括っていた様子がありありだ。定年間近の教員たちは、教育そのものに生きがいを感じることなく、単に労働の対価として給与を貰う日々でもあったのだろう。そして超高給取りのテレビのキャスターたちは、高が70万円でと、教員たちを当たり障りなく確実に蔑む。只弱い者が叩かれるというどうしようもない世界だと思う。自分の家は中学生3年の冬休みに世田谷から津田沼に転居した。あと2か月足らずで卒業という状況なので転校せずに、片道2時間近くをかけてとても大変だったが世田谷の中学校に通った。今から考えると長距離通学の苦労を苦労と感じなかったのは、中学校3年生の先生と仲間とは離れなくなかったからだと思う。少なくとも今の中学3年生も、こう思っているはずに違いない。ダサイタマの先生方よ、生徒の心情を察し一考あれと思う。もし君が先生ならば。
22日 1月 2013
麻生副総理兼財務相が、懲りずにまた失言を遣らかしマスコミの攻撃を浴びそうだ。社会保障制度改革国民会議の席で「終末期医療に対する財政負担は極めて大きいので、自分に延命治療しないよう遺書に書いた。そうしないとさっさと死ねずに無理やり生かされる」との趣旨を発言。麻生はマスコミの非難を受け発言を撤回した。しかし本当に撤回が必要だったのだろうか。確かに公の席で「さっさと死にたい」という発言は常識を弁えているとはいえない。だが延命治療については誰しも正しいとも間違っているとも言い切れないのが現実だろう。麻生は場所柄を弁えなかったことを詫びるとしても、発言を撤回する必要はなかったと思う。延命治療を受けるか否かは個人の見識で決まる。我が家では自分もカミサンも延命治療は受けないことにしている。死に損なって周りに迷惑をかけ続ける自分が許せない。ピンピンコロリでいきたいものだ。
21日 1月 2013
安倍政権は事業仕分けを担当してきた行政刷新会議を廃止した。いま事業仕分けで廃止と決めた予算が続々と復活している。元々事業仕分けには法的拘束力がないためだ。掛け声だけは威勢が良かったが、大した歳出削減の実績も残せず、そして数少ない削減案件も復活している。一体あの騒ぎは何だったのだろうかと思う。当時言われたように民主のパフォーマンスそのものでしかなかったのだ。法的拘束力のないことを重々承知で演技したヘボ役者たちは、いまどのような心境なのだろうか。ペロッと舌でも出しているに違いない。無銭飲食者が食い散らかしたようなものと言える。枝野と蓮舫の罪は重い。しかし歳出削減のため事業仕分けそのものは重要だ。安倍政権が為すべきことは、決して事業仕分けを廃止することではない。事業仕分けに法的拘束力を付与して強力に押し進めることこそ責務と言える。一方、社会保障改革会議は野田政権と同じメンバーで継続することになった。数十年先まで考えなければならない社会保障制度の検討は、政権が代わっても継続して結論を出していくことが重要だ。この2つの会議の継続と廃止は安倍政権の1勝1敗になったと思う。

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