奈良大和西大寺駅大返し

豊臣秀吉が中国大返しで明智を討ち、信長の跡目を継ぐことに成功した話は有名だ。似たような話は現代でも存在するようだ。安倍狙撃事件直後の自民党内の顛末。狙撃の一報を受けて重臣らは動いた。高市は、昭恵夫人が病院に着くまで生命維持処置を病院に依頼した。菅元首相は「安倍と同じ空気を吸いたい」と現場に駆けつけた。西村元コロナ相は、安倍氏の最側近と自負しているが、安倍自身も周りもそうは見ていない。でも、西村は千載一遇のチャンスと捉え、いの一番に現場に駆けつけることに集中した。ところが、それを察知した福田達夫前総務会長は「西村を信長が本能寺で討たれた後の秀吉にしてはならない」と、地元奈良の田野瀬代議士を病院へ急行させて、西村の一番乗りを阻止した。しかし、西村は諦めない。安倍の遺体を乗せた車を追走し、自宅に着くと遺族を差し置いて弔問客の対応を取り仕切った。更に清和会の仲間であっても弔問は受けつけない旨の文書を独断で配布。増上寺で行われた通夜・葬儀でも、安倍氏の親族席に座り、一部の親族の席を奪ってしまった。西村の義父は岸信介の地盤を根こそぎ奪った過去がある。たとえ血筋の通わぬ娘婿でも、血は争えないもの。実によく似ているという。秀吉と西村は行動では似ている。でも、秀吉には才覚があった。さて、西村は。