五輪開催は政治的手段

西村宮内庁長官が天皇陛下の五輪への受け止めについて「国民に不安の声がある中で、開催が感染拡大につながらないか、懸念されていると拝察している」と述べた。これに対し菅内閣閣僚が口を揃えて「長官本人の見解だ」として、陛下の考えではないと決めつけた。憲法第1条には「天皇は日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であつて、この地位は、主権の存する日本国民の総意に基く」とされ、第4条には「天皇は国事に関する行為のみを行ひ、国政に関する権能を有しない」と定められていから、天皇は政治に口を出せないのだ。でも、天皇は国民の総意に基づく存在だから、天皇の声は国民の声と捉えて真剣に向き合うべきものだ。ところが菅首相は天皇の真意も確かめず、無視した。これこそ不敬というものだ。また、感染への懸念は政治問題ではなく科学的な問題だ。天皇が科学的な問題を懸念しているのに、菅らは五輪開催を政治問題として捉えているから、天皇の真意を無視することになる。思いがけずに、五輪開催が政治的目的手段だということを菅自身が暴露してしまったことになる。安全安心と言いながら、国民を危険に曝す五輪開催は、菅の衆院選対策に過ぎないことが実証されたと言えるだろう。