「安全安心な」の軽重

G7を終えた菅首相が意気揚々と「G7で五輪開催の賛同を得た」と語った。でも各国の国民の総意は五輪開催に反対だから、国民感情とトップの意識が乖離しているのが不自然だと思う。それでもG7が賛同したということはどうなっているのだろうか。菅は「安全安心な大会にするので」と、開催を主張した。でももし、安全安心の一部にでも揺らぎがあるのならば、大方の賛同は得られなかったに違いない。菅は空念仏として「安全安心な五輪」を使う。ではG7賛同の中身はどうなのだろう。バイデンは「日本が安全安心に絶対の配慮をするなら」という前提で開催を支持した。勿論その裏には対中戦略における日本を意識している。いや、対中戦略があるからこそ、反対すべき開催に賛同をしたと見るべきだろう。マクロン仏大統領は、開催日に出席すると明言した。次回開催国の大統領が来なくてどうする。でも特に仏は未だにコロナに悩まされている。もし次回開催で無ければ、開催反対の急先鋒だったに違いない。更に他の首脳の五輪についての言及は無い。「この時期にやるのか?」という本音が無言を導いたのだろう。G7宣言には、五輪開催について、最終章にたった2行だけ記されただけだ。この「2行」の言う意味は重い。この意味を考えるべきだ。取って付けただけ。結局、日本国民もG7の首脳も菅の「安全安心」という言葉をどれだけ信じるのかに尽きる。しかし、日本国民は全く信じていない。ザル規制ではコロナは防げない。