大義の無い菅政権

菅内閣が発足して、もうすぐ4ヶ月を迎える。当初の主な政策は、デジタル庁の新設、縦割り行政の改革、携帯業界の改革、地方銀行の再編、ワクチン接種推進、GoToキャンペーン、東京五輪開催だった。それぞれの問題意識はあるが、大義も方針も無い。いわば、モグラ叩き内閣と言える。その菅政権はGoToキャンペーンでコロナを感染拡大させ、東京五輪開催も不可能にさせてしまった。成果はハンコの廃止とdocomoの値下げだけ。でも政策の成功というよりは、権力で強引にねじ伏せた結果と言える。安倍が退き、二階の力で偶々なってしまった菅政権だから、大義を問うのは酷かもしれない。菅は「国民のために働く内閣」を標榜した。でも、これは大義では無い。「何を目的に働くのか」が大義で「国民のため」は単なる修飾語に過ぎない。だが、一国の首相を担うのだから大義程度は考えておきべきものだったと思う。では大義とは何だろうか。その時その時の状況によって異なるが、菅の場合はコロナの終息と一人当たりのGDP向上だと思う。しかし、菅はコロナ終息どころか逆に全国に感染を拡大させる政策を実施した。内閣支持率が下降一方なのは宜なるかな。