明日の健全な国交を開くために

長崎が75回目の原爆の日を迎えた。安倍首相は広島と同じ文章を朗読し「被爆者の方々に寄り添う」と言った。だが、被爆者が要請した長崎原爆資料館への訪問は実現せず、被爆者が参加を求める核兵器禁止条約への言及も無かった。被爆者は「政府の真剣さが感じられない」と嘆いている。一体安倍は何のために長崎に行ったのだろう。米国の情報開示で原爆投下に至る状況が明らかになってきた。米国は広島、小倉、新潟、長崎の順で投下せよとの指令を出していた。広島の次ぎに小倉に向かったが、視界不良のため長崎に変更し投下したという。日本を無条件降伏させるためには10発の原爆が必要で、その後3番目は8月20日頃に東京に落とす計画になったという。米国では現在でも「原爆が100万人の米国兵士の命を救った」と原爆投下を正当化している。本土上陸で米軍100万人の犠牲者を出すか、原爆を投下するかの選択しか無かったという。NHKも原爆投下は仕方なかったというトーンを貫いている。しかし、事実として当時戦争を終わらせる選択肢は4つあった。本土上陸作戦、皇室維持を条件とした降伏勧告、原爆投下、ソ連の参戦を待つ、だ。原爆投下は戦争終結のため以上に、米国の軍事力をソ連に見せつけるのが目的だったという。一般市民を犠牲にした原爆投下は明らかに戦争犯罪と言える。でも、韓国のように過去を穿り返すのではなく、過去を正しく認識することこそが、明日の健全な国交を開くことになるはずだ。