「ねじれ」の効果

米国の中間選挙が終わった。民主党が下院を制し、上院は辛うじて共和党が生き残った。日本のマスコミは民主党の勝利と褒め称えている。自分もそう思う。ところが、当のトランプは「歴史的な大勝利だ」と言い、安倍首相も「おめでとう」と祝電を打った。何だか変だ。トランプは本当に勝利したと思っているのだろうか。トランプの内心は分からないが、行動で分かる。即座にCNN記者を出禁にした。更にロシアゲートを追求するかもしれない司法長官を更迭した。恐らくトランプは負けたと思っているに違いない。そこに、安部が「歴史的な大勝利おめでとう」とおべんちゃらの電話か電報をした。この行為はまさに恥の上塗りと言える。でも、そんなことはどうでも良い。問題は「下院が民主党で上院が共和党が多数なこと」だ。日本では、これを「ねじれ」という。「ねじれ」ると物事は決まらない。政治が停滞することになる。でも、今の日本は安部一強だから、国民の意思とは関係なく物事が決まっていく。だが、多くの国民は、それを良しとしない。と言うことは「ねじれ」を望んでいるといことになる。今後米国は「ねじれて停滞する」のだろうか。米国は「ねじれるが故に」議論が発展するように思えるのだが。