政治家言葉

今月初めに北朝鮮がICBMを発射し、安倍首相は「断じて容認出来ない」と宣言した。思い起こすと1998年テポドン1号が東北地方を越えて太平洋に落下した時、当時の小渕首相は「断じて容認出来ない」と宣言した。だが、その後北朝鮮は60回近く日本に向けて発射してきた。時の首相はその都度「断じて容認出来ない」と宣言してきたが、実効性のある対抗措置は取っていない。「断じて容認出来ない」とは首相の空念仏なのだ。都議会選の惨敗を受け、安倍は「反省すべき点は反省し、今後は丁寧に説明責任を果たす」と言ったが、これも空念仏だった。加計学園問題の国会閉会中審査では、萩生田官房副長官が「記憶に無い」を連発。決してやっていませんとは断言しない。記憶に無いとは、やったかやらなかったか覚えていないということだから、やっていないという答えではない。後で、やってないと言ったことの証拠が出てくると偽証罪に問われるから、お茶を濁す。「記憶に無い」とは、ロッキード事件の小佐野が流行らせた言葉だ。その後政治家の常套句になってしまった。勿論「記憶に無い」とは「やったとは言えません」と同義語だ。失言と不謹慎な行動で非難を浴びている稲田防衛相は、都議選惨敗へのコメントを求められ「厳粛」発言を35回も繰り返した。まるで壊れたレコード。もう既に見苦しさを超していた。政治家言葉は面白い。同じ言葉を繰り返しているだけで、頭の上から嵐が去って行く。実社会では見捨てられるだけで、絶対に通用しない方法であるのに。