慎太郎の悲劇

慎太郎が迷走している。去年までは「年を重ね記憶が定かでは無い」と言い訳を続けてきた。ところが、今年になって矍鑠として「逃げるのは嫌いだから出る所に出ますよ。面白い事が分かりますよ」と意気軒昂。急に老いぼれ風が無くなった。来週には小池都知事と1対1の会見を開くと宣言した。でも小池側には要請が来ていないとのこと。更に石原事務所は慎太郎の言った会見を否定している。益々、その雲行きが怪しくなってきた。この慎太郎の一連の発言を見ていると、本人は既に認知症患者と見える。他人を認知症呼ばわりすれば名誉毀損で訴えられるから、マスコミは決してそのような報道はしない。寧ろ、それを隠せば慎太郎記事は面白くなる。だから、益々煽るようになる。慎太郎の揺らぎは「百条委員会設置の噂」による、老人性情緒不安定に思えてならない。だからといって、慎太郎を擁護している訳ではない。このブログを読んでいれば、自分が石原一家を如何に嫌いかが分かるはずだ。高慢な慎太郎を筆頭に、政治的能力のない長男伸晃、親の七光でテレビに出ている次男良純、都銀を貪った三男宏高、父から公費の恩恵を受けた四男延啓。でも、若い頃の慎太郎は輝いていた。今は全てが若き頃の慎太郎の恩恵の傘の下にある。トランプと同じだ。好きな人がいるはずがない。だが、慎太郎が本当に認知症なのであれば、これ以上過去を追求すべきでは無いと思う。慎太郎はプライドが高いから、たとえ認知症でも自ら認知症と認めるはずが無い。本来であれば、家族の誰かが引導を渡すべきだ。しかし、慎太郎の傍には誰もいない。それも悲劇の一つに違いない。