生きた証の記念碑

第一生命経済研究所の調査によると、先祖の墓に入りたいと考えている人は約4割で、墓はいらないと回答した人が2割とか。時代の流れとともに、墓はいらない人が増えているようだ。海洋葬や樹木葬、最近では宇宙葬なるものまであるそうだ。自分は三男なので両親の墓には入れない。かといって勿論自分の墓など手当していないし、する積りもない。自分は輪廻思想を信じている。死んだら生まれ変わるものと思っている。だから「千の風」と同じように、墓の中でじっと眠っていることはないはずだ。墓は単なる生きた証の記念碑だと思う。記念碑であれば、墓である必要はない。20年近く前から自分は海洋葬がいいと思っている。だが当時は海洋葬のルールが曖昧で、実現の可能性が低かった。でも最近は散骨のルールが確立しつつあるようだ。「墓地埋葬等に関する法律」には、散骨を禁止する規定は無い。一部地域の条例を除いて法規制の対象外とされている。また法務省は、散骨は節度をもって行われる限り、遺骨遺棄罪にはあたらないとの見解を示している。従って、散骨は個人の自由な判断に任せられていると解釈出来る時代になっている。自分は平塚の海が好きだ。平塚の沖合の迷惑の掛からない所に散骨してほしいと思う。更に出来れば高麗山にも撒いてくれるとありがたい。子供たちや知人たちが通りすがりに「この辺だよね」と偶に思ってくれれば、まさにそれが自分の記念碑になる。願ってはいるが、叶うかはカミサンの胸先三寸次第なのかもしれない。