原発にひかれて善光寺

目に留まったニュースがあった。善光寺が毎日福島第一原発作業従事者安全祈願を行っているとのニュース。何故作業従事者安全祈願なのか、何故長野の善光寺なのかと疑問に思ったからだ。ニュースによると、善光寺では東日本大震災直後から東日本大震災犠牲者供養、東日本大震災被災地復興祈願、福島第一原子力発電所作業従事者安全祈願が毎日行われているという。もうすぐ4年になる。これほど長く続けられた回向は初めてという。本来原発事故の責任は東電にある。従って事後処理は全て東電が行うべきものだと思う。ところが善光寺の考え方は違う。原発事故の現場作業は危険を伴いキツイので、誰もやりたがらない仕事だ。こういう人たちを支援することは間違いではないし、寧ろ日本で生きて行く自分たちの安全を支えてくれているのだから、支援することが必要だと言う。まるでお釈迦様のように心が広い。お寺の御開帳は普段公開しない仏像などを公開することで、修繕費用を捻出することが目的だが、善光寺は集まる浄財を被災地支援に充てるために御開帳を開いたとのこと。その支援金は厳冬の作業を支える為の保温性の高いインナーに変わったようだ。牛にひかれて善光寺参り、も単なる逸話ではないように思えてきた。欧州では宗教対立が問題になっているが、善光寺の話を聞くと、宗教は何なのかを改めて考えさせられるニュースでもある。