親族が一堂に会する時

従妹の連れ合いが亡くなりお通夜に行ってきた。そう言えば最近は親戚の人達と会うのはこういう時ばかりなので少し寂しい。お互いに、お悔みの挨拶をした後は「こういう時しか会わなくなったね」と交わす言葉が恒例になった。ある意味で血縁が疎遠になっているということだろう。お通夜の前半は厳かだ。故人の話にふれ、慈しみ思い出を共有する。お坊さんも厳かに読経を唱える。今日の読経はユニークだった。何処の国の言葉か分からない程だ。聞くところによると臨済宗だとか。自分の父母と兄は浄土真宗だったが、もう一人の従妹は真言宗で今日は臨済宗。同じ日本の仏教ではあるが、見た目は大幅に違う。勿論何が違うのかは自分には良く分からない。しかし、問題はない。お坊さんがあっての葬式なのだから。それが日本の葬式だ。ところがお坊さんが帰った後から空気が入れ替わる。悲しみに暮れていた人たちが話し始める。故人が亡くなったことは悲しいが、アルコールも入り悲しいばかりでは終わらない。悲しいと言うよりは寧ろ明るい将来への希望に満ちた気持ちに変わるのだ。まるで故人が縁の人達を招集し、疎遠になるな、希望を持てよと話しかけてくるようだ。