分水嶺の先

日ハムの大谷選手が、二十歳の誕生日に何と2本のホームランを放った。大谷選手といえば二刀流。特に今年に入ってからの成長は著しい。投手として160kmの速球を連投し相手を寄せ付けない。打者としてもかくの如しだ。今までに大谷選手の前には大きな選択が待ち構えていた。まずはメジャーか国内か。そして打者か投手か、あるいは打者と投手か。外野は口煩いし無責任だ。二刀流など出来るはずがないと言う者もいれば、一人ぐらいいても良いと楽観する者もいた。だが最終的に決めるのは本人。国内かつ二刀流の選択は間違いなかったようだ。本物の二刀流選手として大成して欲しいと願っている。だがもしメジャーを選択していたら、との思いも巡る。相当昔の事だが、名古屋から飛騨高山に行く列車の中で「ここが太平洋と日本海の分水嶺です」とのアナウンスを聞き、感動を覚えたことがある。分水嶺という言葉や意味は知っていたが、まさかその上を自分が通過するとは思ってもいなかったからだ。臨場感があった。ほんの些細な事で右か左に分かれてしまう。たった一つの決断で人生が決まってしまうような気がした。だが分かれたといっても、それで全てが決まる訳ではない。太平洋に行った水は幸せになったのだろうか、はたまた日本海に注いだ水は役目を果たしたのだろうか、と思い巡らしたことを思い出す。大谷選手の選択は、右でも左でも良かったはずだ。要は選択した道の中で如何に努力して結果を出すかにかかっている。後ろを顧みる人生ほど役に立たないものはないと思う。