憲法を変える方法

集団的自衛権について公明があっさりと折れ閣議決定に至りそうだ。本来憲法の精神を変える変更は、正当な憲法改正を図るべきものだ。このように憲法解釈を、安易に時の政権が変更すること自体がおかしい。しかも国民の声も聴かず、かつ国会内で議論もせずに、単に公明をねじ伏せるだけで、変更しようとしていることに納得がいかない。自分は、自国は自分たちが守るのが当たり前だと思っている。従って集団的自衛権には賛成だが、憲法解釈変更には反対だ。最大の理由は歯止めがきかないこと。これは譲れない。公明は「平和の党」ではなくなった。と言うよりは、平和と言う化けの皮が剥がれてしまったと言うべきだろう。公明が自民に全面降伏したのは、政教分離の本質を問われ、党の壊滅的な崩壊を恐れた結果に間違いないだろう。これ以上歯向かえば米国のカルト認定が待ち構えているからだ。かと言って、民主は浮草の如く、維新は分党し、みんなは漂浪し、頼りになる政党もない。こんな時代こそ、国民一人ひとりが声を上げ総意をはかるべき時だと思うのだが。