歴史が評価する人しない人

統一球問題の張本人である加藤コミッショナーが「私は知らなかった」と白を切ったのは、つい先日の事だったが、今度は何と「私の評価は歴史がする」とケツを捲くった。この台詞は2年前にも何処かで聞いたことがある。菅元首相だ。菅が総辞職する時に「歴史がどう評価するかは後世に委ねる」との首相談話を発表した。時の流れは速い。菅への歴史的評価はすでに刻まれている。来春から使われる高校の教科書日本史には「菅内閣は、放射能汚染の情報を十分に国民に開示しなかったことや、復興計画の立案と実行が遅れたことから、国民の批判を浴びて倒れた」と記述されている。そもそも「歴史が評価する」などという台詞は失敗した本人が言うべきものではない。烏滸がましいにも程がある。本来眼力のある人物が深層にあるものを見抜いて言う言葉だ。歴史は菅に対しすでにペケという評価を下したが、統一球問題の加藤など歴史のシミ程度にも残らないだろう。