民主幹部の生き様

3年前民主へと政権交代したが、天下を取った積りであった鳩山、小沢、菅らのその後の生き様が興味深い。「最低でも県外へ」と言って沖縄問題を混乱に貶めた鳩山が目出度く引退した。もう政治家として振り向く人はいない。あとはうまくいったとしても、地で政界漫談をするテレビタレントの道程度しか残されていないだろう。それが一番お似合いだ。小沢は民主と袂を分かち、反消費増税と脱原発と嘉田お面で一発逆転の衆院選を目論んだが、不発に終わり陸山会裁判の収束と同時に政治生命の終わりを迎えようとしている。最早立ち直るチャンスはない。風を読み違え続けた人生と言えそうだ。菅は大震災を人災に変え、かつ復旧復興を妨げた張本人だ。大震災当時の首相が菅でさえなかったならば、放射能汚染をもっと低く復旧もスムースに行われていたに違いない。その張本人の菅が衆院選で脱原発を訴えている。自分が当事者として経験し原発は恐ろしいと思ったからだと言う。しかしこの論理は間違っている。原発被害を大きくさせたのは菅自身なのだから、主張すべきは脱原発ではなく、災害発生時の管理能力をいかに向上させるかを主張すべきだ。菅のやるべき事は言い訳ではなく反省と、その反省に基づく対策の立案だ。ひょっとすると頭を12針も縫った自損事故は天罰かもしれない。投票者が菅の論理のすり替えを見抜けるのか、東京18区の見識が試されている。