危うい法律解釈ゲーム

こんなことがあっても良いのだろうか、と思うのが亀岡の交通殺害事件だ。10人が死傷した大事故で、事の内容は、無免許運転を繰り返したあげく大事故を起こし、事故直後も当の張本人たちは犠牲者の介抱もせず携帯にほうけ、しかも車は知り合いから半ば強奪して乗り回していたとのこと。しかしこの行為がこの種の極刑である危険運転致死傷罪には当たらないだろうと弁護士は言う。何故なら危険運転致死傷罪になる要件は、アルコール又は薬物が原因で人を負傷させた者、又は未熟な運転によって人を死傷させた者の二点。被疑者はアルコール等を飲んではいなし運転は未熟ではないから該当しないだろうと言う。しかもあろうことか無免許運転を繰り返した経験もあり、当日前夜長時間にわたり運転していたので運転には長けている、とダメ押しする。こんなことがあっても良いのだろうか。こんな法律上の解釈は全く間違っている。本来罰を罰だと決めることが、裁判官や検事や弁護士の仕事のはずだ。しかし残念ながら今の裁判官や検事や弁護士らは、罰を罰と考えるのではなく、法律の文言を如何に咀嚼するかにあるかのゲーム感覚に陥っているように見える。これが今の司法界の最大の問題と思う。殺人を犯しても意識がなければ罪はない、というのが今の法律。完全に間違っている。罪は罪としてその重さを裁き、裁いた後で情状酌量を考慮すべきものだ。司法を司法し、裁判官を裁判することが必要な時代になりつつあるらしい。非常に残念。