料理と本の自炊

最近やたらと「自炊」の文字が目につく。自分にとって「自炊」とは独り料理のことをいう。単身赴任生活時代、寮には付属の食堂はあったが一度も利用せずに自炊した。単赴生活だと四六時中仕事のことばかりを考えていて頭の切り替えが難しい。料理をする時は霧が晴れるように仕事のことが頭の中から消えて行くリフレッシュ効果があることを発見し自炊を貫いた。ところが最近の「自炊」とは料理ではなく、本のデータ化を指すらしい。本の背表紙を裁断しバラバラにした頁をスキャナーでデータ化しファイルとして保存する。この作業は個人には面倒なので自炊代行業者に頼むケースが多くなる。最近多くの著名作家らが自炊代行業者に対し、作品の複製権を侵害しないよう行為の差し止め請求訴訟を起こしたとのこと。提訴理由は、著作権法違反。著作権法では使用する者が私用目的で複製することが認められているが、代行業者は「使用する者」ではないかららしい。的の外れた提訴だ。代行業者は使用者に代行を依頼されているから使用者に含まれ、従って違法性がないのは明白。自分が推測するに多分作家らは「本」と「文」とは同じものではないと言いたいのではなのだろうか。おそらく作家は、「本」とは作家の文章だけでなく編集者やデザイナーや装丁や印刷する人を総合して出来た一つの作品と見ているのであろう。だから文章だけを抜き出すデータ化が作品を破壊しているように思えるのだろう。しかし日本の家は狭く本の置き場もあまりない。溜まると捨てられる運命にもある。データ化は便利だ。コンパクトにもなるし軽くて持ち運び易く保存性も高い。時代の流れでもある。読者から見ると「本」の価値は大部分が文章であり、それ以外の比重は極めて小さい。「本」の価値観について、作家らが読者に近づくことが時代の流れといえるだろう。料理も本も自炊がよいと思う。