五輪開会式は退学処分相当

今日は東京五輪の開会式。五輪開催には反対だが、一応テレビで開会式は見ることにした。何故なら小林ディレクターを解任したものの、お祭りは実行すると言うので、その力量を知りたかったからだ。結論として、チャチでダサかった。この程度のお祭り行事に、何故曰わく付きの危ない輩を徴用したのだろうかと、五輪組織委の闇を疑がってしまう。6万人も収容出来る競技場のフィールド内でのたった一人の演技に対し、誰が感動するのだろうか。観客にとってはケシの実を見ているようなものだ。来賓らは何が行なわれているか理解出来なかったに違いない。全てがテレビ観客のために作られていたと言っていいだろう。でも映像の継ぎはぎが多かった。着いて行けなかった。橋本組織委員会長とバッハIOC会長の挨拶は、ノンベンダラリとして辟易させた。聖火ランナーに何故不自由な長嶋を起用したのか疑問が残る。唯一感心したのは、1824基のドローンによる浮かぶ地球だ。それでも、何故2020基にしなかったのかの疑問は残る。採点すると、構成0点、バッハ挨拶-20点、浮かぶ地球+50点、総計+30点という結果になる。優良可で表せば、不可だ。不可を多く取ると落第するが、五輪セレモニーに関しては退学処分が最適だと思う。