2014年1月

ジュジョの愚挙

リケジョの快挙と同じように女性の活躍が目立つのがスポーツだ。ジャンプの高梨、スケートの浅田、テニスの伊達らが輝いているが、落ち込みの目立つスポーツもある。女子柔道だ。監督の暴力問題から1年が過ぎた。現在、柔道界は暴力を撲滅し、選手の自主性を重んじる方向で模索している。ところがすっかり箍までも緩んでしまったようだ。監督を替えろと言い出す者や、軽い怪我でも試合出場を辞退する者や、辞退したのにヘラヘラ笑いながら試合観戦する者が増えたとのこと。その証拠に昨年のブラジルの世界選手権では、22年ぶりに個人戦金メダルなしに終わったことがその事実を物語っている。暴力指導は撲滅しなければならない。しかし、強制されてきつい練習をさせられるのは辛いだろうが、強制がなくなると己を律し己に厳しさを課せないのも悲しいことだ。女子柔道は監督もコーチも選手もオーバーシュートしてしまった状態にあるようだ。リケジョを捩って女子柔道にジュジョなる造語を作ってみた。今の女子柔道は「ジュジョの愚挙」と言える。早い時期での立ち直りを期待したいものだ。

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リケジョの快挙

今日はSTAP細胞のニュースが日本中を駆け巡った。理研のうら若き女性が山中教授のiPS細胞に匹敵する新しい万能細胞を開発したとのこと。成果は革命的で幹細胞生物学の新時代の幕開けだと語る著名な研究者もいる。彼女がこの研究を着想したのが6年前。刺激を与えると幹細胞に変化するという研究成果は、当初周りの研究仲間からは「きっと間違いだ」と言われたほど画期的な発見だったようだ。更に昨年英科学誌ネイチャーには「過去何百年の生物細胞学の歴史を愚弄している」と酷評され掲載を却下されたとのこと。だが人の役に立つ技術だという信念と、あと1日頑張ろうという執念が大輪の花を咲かさせたようだ。日本の大学では一時理系離れが進んでいたが、最近は理系を目指す女子大生が注目されている。理系の女学生や研究者を「リケジョ」と言うらしい。まさにリケジョの女王と言える。マウスからヒトへの道程には極めて難しい技術開発が待ち受けているかもしれないが、是非とも持ち前のガッツで乗り越えてほしいものだ。研究の成功を祈りたい。

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文化の継承となるシャケ弁

弁当の定番「シャケ弁」の表示を「ニジマス弁」にすべきかと揺れている。食品偽装騒ぎで養鶏を地鶏、ロブスターを伊勢海老、養豚を黒豚など色々あったが、それらはまさしく偽装で犯罪だった。ところが、消費者庁が過剰反応し、食品を正確に名前付けするためのガイドラインを発表した。その一例が「ニジマス弁」だ。果たして正確に名前付けするという行為が真っ当なのだろうか。サケはシャケとも呼ばれるサケ目サケ科サケ属の魚。一方マスは同じサケ目サケ科だが、日本でサケ類(ベニザケ、シロザケ、キングサーモン等)と呼ばれる魚以外のサケ科の魚をまとめた総称。外国でもサケとマスの名付けは入り乱れているのが現状だ。即ち全部サケでシャケなのだ。自分自身の経験で言うと、昔のシャケ弁は身が締まっていて塩辛かったが、今のシャケ弁は身が柔らかく淡泊。自分は昔の方が好きだが、それは単なる個人の好みの範疇だ。昔の塩辛いシャケこそシャケだと言っても、逆に今の味気ないマスこそシャケだと言っても、味の違いはあれ、それはそれで良い。それこそが文化の継承だと思う。だからシャケ弁は何時まで経ってもシャケ弁なのだ。たとえサケからマスに変わったとしても、その時代が受け入れるシャケ弁なのだと思う。消費者庁は文化というものをもっと真摯に考えて、答えを出すべきだと思う。敢えて言えばシャケ問題などに関わらず、消費者庁はもっと地に付いた真面な問題を採り上げるべきだと思う。

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自転車ブームの功罪

健康志向で自転車ブームが続いている。休日になるとスポーツタイプの自転車にヘルメットを被った人を良く見かける。健康的な風を感じる反面危うさも感じてしまう。先日赤信号の交差点に突っ込んだ自転車が女性とぶつかり死に至らしめた事件の判決が出た。刑事裁判では禁錮2年執行猶予3年、民事裁判では損害賠償4700万円の判決。無謀な運転で死に至らしめたのだから、当然と言えば当然だが、何か違和感がある。自転車が自動車並みの賠償額になったことには、違和感ではなく時代の流れを感じる。昨年検察庁は悪質な自転車運転を立件する方針に転換したらしい。それはそれで良いのだが、自転車に対する司法体系のアンバランスに違和感がある。競技用のブレーキのないピストに乗り一般公道で悪質運転を繰り返すと安全講習が義務付けられた。だが公道をピストが疾走するということは、謂わば刃物を振り回しながら走っているようなものだ。刃物を振り回す者には、安全講習ではなく逮捕が必要のはず。しかし一概に罪を重くすれば良いというものでもない。自転車運転の安全向上は大人の知恵の出し所だ。

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大人の認定式典

「三十路式」なるものがあることを初めて知った。文字通り30歳になった時の式典で、20歳の時の成人式の向こうを張っている。成人式の時は、20歳だから選挙権を得たとはいっても、大半が未就職で子供同然だ。式典では騒ぐし来賓の話も聞かない。要するに成人式は、単に20歳に到達したことを祝うだけで、一人前の大人と認定するものではない。ところが30歳になると立派な大人だ。仕事を持ち社会人として居場所もある。仕事や家庭や会社や人生に自分なりの考えを持っているし、日本の事や世界の事にも見識を持っている。30歳が一堂に会し交流することは価値がある。三十路式を地方単位で行えば地域の活性化に繋がるだろうし、参加者にとっても業種や立場を超えた交流は、生き方を振り返るよい機会になるだろう。三十路式が全国に拡がり始めているという。良い事だ。成人式はそこそこにして三十路式に力を入れた方が、世の為人の為になりそうだ。三十路式は「大人の認定式典」とも言うそうだが、認定は自分自身が行うべきだ。それが大人というものだろう。

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下世話な話

フランスのオランド大統領は女優との密会がバレて、事実婚のパートナーとの破局を迎えたとのこと。ロシアのプーチン大統領は去年30年間連れ添った奥さんと離婚した。アメリカのオバマ大統領はマンデラ元南ア大統領の葬儀でデンマーク女性首相とイチャイチャしミシェル夫人にドヤされた。日本も例外ではない。安倍首相夫人は家庭内野党として名を馳せ、二人が仮面夫婦であることは公然の秘密になっている。良く言えば「英雄色を好む」かもしれないが、寧ろ「大統領も人の子」と言うべきか、それとも「堪え性がない」と言った方が言い当てているように思う。政治家に真直ぐな気持ちを持つ人は稀だ。だが機を見るに敏。常に何事も天秤に掛けて判断する性質があるようだ。それにしても、余りにも目先のことだけににしか目が向かない世界の首脳は情けない。いま世界中が混沌としている状況が必然であるように思えてくる。

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NHKのあるべき姿

NHKの会長が交替した。元三井物産の籾井という新会長は、歴代の会長とは肌が異なり何か期待出来そうな予感がする。開口一番「NHKのボルト、ナットを締め直す」と宣言し、組織の引き締めと外国向け放送に於ける日本の主張を最優先課題として取り上げた。受信契約をする時代ではなくなってきたと言い、また海外向け放送では初めて会長が英語でスピーチをした。何かしそうな滑り出しだ。自分が思うに、今のNHKには公共放送という自覚がない。受信料をふんだくって、民放の向こうを張って、金に糸目を付けずお笑い芸人を総出演。これが公共放送だろうかと情けなくなる。本来公共放送は民放とは一線を画すべきものだ。最低限のコストで、最大限の国として必要なニュースを流すのが責務のはずだ。ニュースに重点を置き、娯楽番組は全てカットし、英BBCが抉って作るようなドキュメンタリーを増やす一方、日本を真に知ってもらうため海外向け番組を強化すべきだと思う。そのような改革が出来れば、今の受信料は決して高くはない。残念ながら今は余りにも高過ぎる。新会長には(コスト)パフォーマンスを期待したいものだ。

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静かな里山と猫のいない島

240kmを走り、やっと走行距離1万kmを達成した。2日間ともほぼ計画通り巡り楽しい旅だった。ただ2点ほど想像とはかけ離れたシーンに出くわした。一つは鋸南の水仙ロード。数年間に行った時は、鋸南町が町興しのため町を上げて「水仙の里」を宣伝していたためか、沢山の幟が立ち並び車が通れないほど観光客で溢れかえっていた。ところが今年は幟もなく人も疎らだ。数年前の賑やかさは何だったのだろうかと思った。それにしても日本人とは何と熱し易く冷め易い人種なのだろうと感心した。しかし結果として、水仙ロードが里山の静けさを取り戻したことは良い事だと思う。静かに里山を散策し花を愛でる方が水仙にとっても嬉しいに違いない。もう一つは三浦半島城ケ島の猫。1、2年前に見たテレビでは、城ケ島には沢山の猫が住み着いていた。しかも人馴れしていて猫好きにはたまらない島のように思えた。ところが何処を見ても猫一匹いない。まるで神様がこの世から全ての猫を消し去ってしまったかのようだ。猫のいない城ケ島は魅力が半減する。三浦市は観光政策を間違えたように思う。狐に抓まれたような不思議な気持ちになり、風も強いので早々に島を出て帰路についた。

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1万kmを目指して

車を買い替えてから4年半が過ぎたが、未だに走行距離は1万kmに達していない。普段は近所のスーパーやテニスに行くため週に数度しか乗らないためだ。だから車のために時々長距離を走るように努めている。今日は、車のお守りとカミサンの要望に応えて、1万kmを目指し東京湾一周ドライブ1泊旅行に行くことにした。カミサンの好きなパターゴルフをするため東京ドイツ村に立ち寄り、鋸南の水仙ロードを散策し、露天風呂付き旅館で1泊。明日は、風がなければフェリーで久里浜に渡り、昼食は三崎で海の幸、猫が沢山いる城ケ島で癒しの一休み、帰りがけに三浦野菜を買って帰宅する予定だ。天気も良い。いざ出発。

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都知事選の第二幕

未だに討論会も開かれない都知事選は珍しい。立候補者はほぼ出揃ったようだが、主張がテンデンバラバラだから議論しても噛み合うはずがない。元首相コンビの脱原発は強烈だから、自民も必死だ。細川には菅や野田元首相も後押しをしている。一方自民は舛添の応援に党3役と閣僚を投入するようだ。現首相までが応援に入るという。これだけの面子が集まり応援合戦をするのであれば、さぞかし格調の高い応援が期待出来そうだ。そう思っていたがアニハカランヤ、五輪大会組織委員会の会長に就任する森元首相が「原発即ゼロなら五輪は返上」と訳の解らないことを言い出した。五輪を人質にして目眩しさせようという魂胆のようだ。こんな人が五輪委員長になって五輪が無事終わるのかと心配になる。都知事選も東京のことは抜きに進みそうだ。主役不在の都知事選は、これから更なるドタバタ喜劇の第二幕が上がる。中傷合戦の始まり始まり。

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強さの秘訣

いま破竹の勢いという言葉が最も似合う人は、女子スキージャンプの高梨選手だ。国内4戦を全勝し、W杯で17勝目をあげて日本人男女通じての歴代最多勝利記録保持者になった。まだ弱冠17歳で身長は152cmと小柄だが、ジャンプの安定性は抜群。テレビで見ていて余りにも安定しているので、安定に飛ぶのが当たり前のように思えてくる程だ。何故これほど安定して大ジャンプが出来るのかが良く話題に上る。元々生まれがジャンプ一家なので英才教育の下地があるのだろう。しかしそれだけでは説明が付かない。高梨選手の言動をみると何かが薄っすらと見えてくる。「ジャンプが一番好き。記録は気にしないで、ジャンプを楽しむ。他人のことは考えないで、今に集中する」。スランプがない。理想のジャンプが頭の中にしっかり構築されているので修正力が高いのだろう。更に海外遠征を想定して英語はペラペラ。長期遠征に備えて大検は取得済みで授業はいくらでも休める。全てのベクトルがジャンプの頂点に集中しているように見える。事を成す人の特長のようだ。ソチでの活躍を祈りたい。

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同期の仲間

新橋の小酒落た飲み屋で同期会があった。一口に会社の同期と言っても、200名以上もいた。今日は初任配属先が板橋の研究所で一緒だった同期の集まりだ。同じ同期の中でも、初任配属先が同じだった仲間は取り分け仲が良い。もう40年以上も家族的雰囲気の付き合いが続いている。2名が欠席し、8名が集まった。全員67歳以上だが5名は今も仕事を楽しんでいるようだ。昔話や近況報告などで場が盛り上がり、笑い声の絶えない飲み会だった。何故この仲間は特に仲が良いのかを考えてみた。勿論人柄が良いのは間違いないがそれだけではなさそうだ。学生生活を終え社会人になった時が、男にとって人生が最も激変する瞬間だ。希望に胸を膨らませ、慣れない仕事に緊張感を持ちながら、しかも幅広い年齢層を相手に上手くコミュニケーションを取らなくてはならない、そんな時期だ。希望と緊張と不安が混じり合った中で、それと闘っているのは自分一人ではない。同期は皆同じ状況下にある。同期とは謂わば戦友とも言える存在だったのかもしれない。同じ戦火を潜ってきた仲間だからこそ特別な存在なのだろう。

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センター試験の苦い思い出

大学入試センター試験が行われている。新共通テストが1990年にセンター試験へと衣替えし続いてきたが、5年後を目処に廃止されるようだ。このセンター試験には個人的に苦い思い出がある。自分が大学受験したのは50年も前の事だから、勿論センター試験など存在していなかった。今から20年くらい前のことだ。日帰りの予定で出かけた金曜日の出張であったが、出張先で会社の親友に誘われ飲むことになった。話が弾み気が付くと終電に間に合わない。仕方なく宿を手配し1泊することにし、宿で寝ていると親友の電話で起こされた。飲み屋に戻れと言う。仕方なく再度飲み屋に行った。もう当然明け方まで飲み明かした。その間酔った勢いもあり、状況を伝えるために真夜中に何度もカミサンに電話をした。翌日は朝帰り。バスの下り際に運転手から「ご苦労様」と声をかけられ「はい」とは返事したものの、ネクタイ姿の朝帰りを運転手はどう見ているのだろうかと複雑な気持ちになった。その夜、センター試験初日を終えた長男はとても厳しい顔をして「落ちたらお父さんの所為だからね」と恨み極まる表情で自分に責め寄った。「?!何で?」と聞くと「昨夜は頻繁な電話と話し声で一睡も出来なかった。案の定テストの出来も最悪だった。せめて昨夜だけは静かにしていて欲しかったのに」と。長男の言葉を聞いて、顔から血の気が引くのが分かった。拙い事をした。取り返しがつかないと思った。長男は合格発表は見に行かず、その時間は国立2期校の受験勉強に充てると言う。従って自分は会社を抜け出して発表を見に行った。結果は何と合格だ。長男から聞いた受験番号が載っている。直ぐに長男に電話をした。長男自身が合格証書を受け取るようにと。だが長男は取りに来ないと言う。仕方なく自分が長男の合格手続きをしたのだが、受かっても長男の心は未だに受験戦争の真っただ中にいたようだ。せめてあの時はご免と一言言いたい。「ご免」

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タイムウイークを読んで

9日のこのブログ「都民不在の都知事選」で、今回の都知事選には都民としての争点がないことを指摘した。言葉足らずでどうしようかと思っていたが、今日、日本批判で有名なリベラルなニューヨークタイムズのタイムウイーク日本版が、偶々上手く纏めていたので紹介したい。一言で言うと「本来都知事選とは、政策提案と対立軸と候補者の実務能力という中身があって、それを選択するものだ。しかし、その必要条件が欠けたままで進行している」と言っている。その上今の都知事選の争点にすべきものは下記の通りとも指摘している。政策では、一極集中の問題、やがて訪れる膨大な単身高齢者を抱える「無縁都市化」の問題、インフラ更新の必要性、国際都市に脱皮するための政策。更に問題なのは課題が分散化し過ぎていて、解決すべき個別の問題に焦点を絞ると票が取れないことだと。岡目八目ではないが、全くその通りだと思う。投票する人には考えてほしい。1票を入れるために都知事選がある訳ではない。東京都をどの方向に向けて行きたいかを真剣に考えてほしい。残念ながら、自分は都民ではない。それだけに歯がゆい都知事選だ。

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2千万人vs25%

昨年日本を訪れた外国人旅行者が初めて1千万人を突破した。そこで安倍首相が悪乗りして、2020年までに2千万人を目指したいとぶち上げた。悪乗りという意味で、かつて鳩山元首相が温室効果ガスの削減目標を2020年までに25%にすると国際公約したことを思い出した。この25%は中国が言ったように「まやかし」で単なる「ええかっこしい」だ。しかも日本が本当に削減努力をすれば経済は壊滅的な状況に陥ること間違いなし。性質の悪い公約だった。ところが、安倍の2千万人は筋が良さそうだ。元々日本人は海外が苦手。海外への留学生数も減少の一途。ところが日本は、街が綺麗で安全で、人も親切で外人からはユートピアとも言われている。それならば来日し易い環境を整備して、多くの外人を呼び込めばいい。日本に来れば日本の良さが分かるし日本の平和主義にも実感するだろう。世界中に親日派が増えることにも繋がるはずだ。まさに安倍の言う積極的平和主義の実践にもなる。オマケに来邦者が倍増すれば経済も活性化される。第3の矢の中の1つとして本腰を入れて実行すべきだと思う。

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2年目の茶道

今日は初釜だ。薄茶点前を習い始めて1年になる。この1年で点前の所作の順序を覚えただけではない。当初は道具の名前を覚えるのにも一苦労したが、今では当たり前のように身に付いた。前準備では茶巾の絞り方とたたみ方、茶杓を湿らせておくこと、抹茶の棗への入れ方、菓子盆の向き。点前では襖の開け方閉め方、歩き方、立ち方。後片付けでは茶碗と建水は別々の専用の布巾を使う事。月1回の稽古ではあったが、準備から後片付けまでを一応熟せるようになった。まさに上辺だけはなぞっただけの状態だ。やっと茶道の入口に辿り着いたような気がする。さて今年の点前はどのように深まっていくのだろうか。今から楽しみにしている。

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史書「春秋」と日経「春秋」の違い

どうも最近引っかかるものがある。先日も書いた日経の「春秋」というコラムだ。朝日新聞で言えば「天声人語」に対応する新聞社の顔ともいえるものだから「春秋」は日経の考える良識と見做して読んでいる。都知事選は細川と舛添の一騎打ちになりそうだが、今朝の「春秋」は、細川は不明瞭な借金で首相を辞めたので猪瀬と同じだし、自民が応援する舛添は自民を除名されたのにと思うと心にしこりが残り、この2人に投票するのは馬鹿であると書いてある。果たしてこれが日本を代表する新聞社の感性かと嘆かわしくなる。この世の中に一度も間違えを犯したことのない聖人君子など一人もいない。過去への攻撃は、質の低い都知事選立候補者や支援者に任せておけば良い。新聞社の良識なるものが攻めるべき所は、東京都の未来構築について2人の計画、公約の具体性、主義主張信条を抉り出し、何が出来て何が出来そうもないのかを客観的に公に示す事だ。中国の史書「春秋」は些事を取り上げて大局への関係を説く論法だが、日経の「春秋」は些事に拘り大局を見失っているようだ。

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成人式雑感

成人の日のニュースを見て、世の中変わってきたなと感じた。一昔前の成人式は荒れていた。演壇を占拠したり、大声を出して来賓の祝辞を妨害したり、酒を飲んで暴力沙汰を起こす新米成人たちがテレビ中継の主役だった。この時代の新米成人が今も頭にイメージとして残っているので、成人式と聞きまたかと思っていた。ところが、今年の新米成人は総じてオトナしい。ゆとり教育を受けた世代で「さとり世代」とも言うらしい。あまり高望みをしないのが特徴とのこと。興味は恋愛よりも就活にあるらしい。一昔前の新米成人は小学生の悪がきレベルだったが、最近の新米成人は一挙に老け過ぎてしまったようだ。どうも育った学校の環境と新米成人の傾向はダイレクトに結び付いているように見える。国は成人式の傾向を見ながら、教育方針を見直していけば、より良い教育が出来るようになるかもしない。

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北陸決戦の波及効果

まさか北陸勢対決になるとは思っていなかったのが、富山第一と星陵の対決。高校サッカーだ。当然2時からのLIVEを観た。ミーハーな自分にとっては、柳沢の富山一高かミラン本田の星陵か、どちらを応援するのかを迷っていた。2020年の東京五輪のため国立が改修されるので、高校サッカーは今年が最後の国立になる。国立競技場の若手の最後のショーだ。それだけに応援が多い。たかが高校サッカーではあるが決勝に4万人も集まったとのこと。観衆の情熱が伝わってくる。試合は開始直後から富山が終始押していた。しかし得点は富山/星陵の0-2で星陵がリード。だが試合終了直前で富山が2-2に追いついた。そして延長戦に入った。この時点で未来の事は誰も分からないから、誰しも手に汗を握ったに違いない。しかし自分は富山第一の勝利を確信した。何故なら、富山には自分がやらなければという積極性があるが、星陵はどう応えるかの受け身だ。勝利は自ずと知れている。勝負とは試合を動かす信念を持った方が勝つに決まっている。結果として富山が勝って高校サッカーの栄冠を手にした。だから勝つべくして勝って、成るべくして成ったような気がした。北陸決戦は日本の誰かに成るべきして成るという真理を与えたような気がした。

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夢か現か幻か

昨年は生まれて初めて短編SF小説「サッカーボールのような星」を書いてみた。そして去年創設された星新一賞に応募した。勿論頭の中で空想を膨らませ、有ること無いことを如何にも有るかのように描いてみた。このブログに載せてあるので読んでいただきたいが、物語の初めは地球内部のマグマとマントルが噴き出すことから始まる。ところが嘘か真か、現実の世界でマントルが露出している場所が見つかったらしい。日本の最南端沖ノ鳥島の南東の海底に、地下のマントルが露出した世界最大のドーム状の岩塊が存在することが分かったとのこと。岩塊は縦125km、幅55km、高さ約4kmで、東京都の面積の3倍程度の大きさ。その巨大さから、まるで海底にいる怪獣のようだとして「ゴジラ・メガムリオン(巨大な棒状の岩)」と命名されたとのこと。この岩塊は、言わば地球の皮が剥けた状態で、マントルを見るための「のぞき窓」として地球内部の仕組みの解明に役立つと期待されているようだ。勿論マントルは有用金属や宝石になる鉱物を含むため、新たな海底資源として注目されているとのこと。空想の世界で創った「サッカーボールのような星」が、奇しくも現実の世界に出現したようだ。SF畏るべし。今日のブログを読んだ後に「サッカーボールのような星 」を再読すれば、夢の世界に誘う事間違いなし。是非ご一読を。

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あすへの話題vs春秋

最近は昨日今日の出来事が何時だったのか思い出せないことが多くなってきた。おそらく多分昨日の日経夕刊だろうと思うが、コラムに料理家の三国さんが越前ガニについて書いていた。文章が上手い。カミサンがこの人上手いわねと言った。自分は少し妬みも感じて「こういうものは上手く編集する人もいるからね」と反論した。そして今日の夕刊はあの有名な阿木燿子さんだ。作詞家だけに滅多矢鱈に文章が上手い。何気ない日常を「三昧」と表現する繊細さには恐れ入った。小泉元首相ではないが、感動した。そして反省もした。日経夕刊の「あすへの話題」を執筆する人は、仕事もさることながら超達筆なのだと。それに較べやや不満が残るコラムもある。新聞社のプロが書いている朝刊の「春秋」だ。文章や構成は兎も角、内容と結論が貧弱。時代の先を見ていないしエスプリも効いていない。従って日経には「あすへの話題」と「春秋」の執筆者の交換をした方が良いと提案しようと思ってしまったのだが。

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TPP交渉の落としどころ

米議会でTPP交渉権限を大統領に一任する法案を超党派が提出したとのこと。4月締結に向けいよいよ動きが本格化してきた。そもそも交渉とは、妥協点を見つける仕事だから、今のような締結権限を持たない担当者がいくら交渉しても落としどころが見つかる訳がない。特にTPPは国の利害そのものの交渉だから、その主張は相いれないものになる。関税撤廃期間が、日本は99年と言えば米国は原則0年と言う。日本がコメは譲れないと言えば米国は砂糖は譲れないと言う。だから最終的には締結権を持った者が、エイヤッと決めることになる。落としどころはネゴの強さにもよるが、中間で決まることになるのが常識だ。関税撤廃期間は49年、コメも砂糖も業界には不満が残るが少し引き下がったところで妥協することになるだろう。さて果たして交渉権の大統領一任は米国にとって吉と働くのだろうか。今のオバマはブレている。シリア問題では決断のなさ、またオバマケアでは指揮能力の低さを露呈した。TPP交渉での米国は多勢に無勢だ。日本が強気に出れば乗り切ることが出来るかもしれない。日本の覚悟の強さが落としどころを変えることになりそうだ。

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都民不在の都知事選

年が明け都知事選がやっと動き始めた。弁護士会元会長の宇都宮が安倍政権の姿勢を批判し貧困や格差拡大の是正を旗印に掲げた。元自衛隊の田母神は安心・安全のため自衛隊の活用を、発明家の中松は都民税減税を、元参議院議員の舛添は史上最高の2020年五輪実現達成のための政治改革を、それぞれ掲げた。更に元首相の細川は小泉の支持を得て脱原発で参戦しそうな気配だ。だが何か変だ。東京都の課題を解決するためにあるはずの都知事選の焦点が、国政の是正課題にすり替わっている。これでは東京都の問題を議論する場もなく投票日を迎えることになりそうだ。立候補者たちは持論を言いたい放題だが、肝心の都民からの要望は全く聞こえてこない。一体都民は東京都を如何にあるべきと考えているのだろうか。はたまた何も考えていないのだろうか。選挙とは単に既製品の中から選ぶ場ではなく、住民が声をあげる場であるべきだと思う。都知事選は都民不在の中で都民により投票されることになりそうだ。

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「いいくに」から「いいはこ」に

文科省が高校で選択科目になっている日本史を必修とする検討を始めたとのニュースを聞き、50年前の高校時代を思い出した。鎌倉は「いい国作ろう鎌倉幕府」だから1192年という類いで、出来事と年を暗記するだけで、日本史は最もつまらない授業だった。しかも明治時代に入ると、先生は言葉を濁して「あとは独自で読んでおきなさい」と締めくくった。大事な近代は教えないのだ。まさに日教組色が蔓延っていたようだ。何故こんな事件が起きたのかという、時代の流れを教えない日本史など歴史の授業ではないと今でも思っている。今日テレビで近江八幡の成り立ちについて放送していた。信長や秀吉や秀次が登場し、楽市楽座のその後や近江商人が誕生した理由を辿っていた。自分の父は近江商人の子でもあったらしいので尚更興味深かった。このような観点を含めた日本史であったのならば、自分はこの道に進んだのかもしれないとも感じた。従って、生きた歴史を教えるのならば日本史必修化賛成、暗記だけなら猛反対。因みに現在は鎌倉幕府の成立1185年「いいはこ創ろう鎌倉幕府」に変わっている。事実を突き止めれば歴史は修正される。時代と共に解釈も変わっていく。それが歴史だと思う。

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Taizenは何を切り開くのだろうか

李明博が竹島に上陸し、野田が尖閣を国有化してから、日中韓がギクシャクして、見かけの国交は途絶えてしまったようだ。更に安倍の靖国参拝により米国も巻き込んだ形になっている。と言うことで政治の世界は冷戦中。しかし、民間では日中韓の交流は、政治の影響を受け下火にはなりつつあるがその火は消えてはいない。スマホのOSは、アンドロイド8割、iOS2割で占められているがタイゼンTizenが新風を吹き込みそうだ。Tizenは、日中韓が共同で開発したOS。現状のスマホの0SであるアンドロイドもiOSも、利用するには縛りがキツい。ところがTizenはフリーだ。Tizenが爆発的に広まるかもしれない。と言うよりは、広まってほしいと思う。義理や票の確保のために動けない政治家よりも、明日の世界を切り開く民間の方が、フットワークは健在だ。竹島も尖閣も靖国も、一言で言えば、意地の突っ張りあい。勿論思想と呼べるものでもない。国際交流は民間主導で行う方が得策だ。それだけ世界的にも政治が貧困に窮していると言うことだろうと思う。

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マグロ考

築地の初セリで去年は1億5千万円の値が付いたマグロが、今年は去年のたった5%の7百万円になったとのこと。去年までの高値は業者の意地の突っ張り合いにあったようだ。やっとマグロ市場も常識を取り戻しつつあるかに見える。初セリの超高値は威勢がいいだけではない。マグロ需要をいたずらに刺激し乱獲を招く原因にもなっている。何処に行ってもスーパーにはマグロが山のように並べてある。どう見ても供給過剰状態だ。特にクロマグロは乱獲のため40年前に較べ90%も漁獲量が減ったとも言われている。しかも世界のマグロの80%は日本で消費されているという。だが日本は漁獲規制に後ろ向きだ。間違っている。最も消費量の多い日本こそが、本来先頭に立って漁獲制限を提案推進すべきだと思う。本当にマグロが美味しいと思うのならば、日本人一人ひとりが遠い将来までマグロを食する生活が出来るよう心掛けるべきだ。だが残念ながら現実はイソップ物語の世界にいるようだ。

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学習や経験も遺伝するはず

学習や経験は遺伝しないというのが生物学の常識らしい。しかし、その常識が覆るかも、という記事が日経夕刊に載っていた。ネズミにアセトフェノンの臭いを嗅がせ電気ショックを与えると、ネズミは恐怖を感じる。これを繰り返せば単なる有名なパブロフの犬だが、そのネズミの子供も孫も同じようにアセトフェノンを嗅ぐだけで恐怖を感じるようになったとのこと。まさに恐怖の記憶の遺伝だ。かつてキリンの首が長いのは先祖の経験によるものという学説もあったが、今の学会では否定されているようだ。しかし自分は経験などが遺伝することの方が当たり前のように思えてならない。毎日見慣れたスズメのことを勉強して、スズメがかつて人間に虐待され、それがために人間を怖がっている遺伝子を持っていることを知った。また人間の親と子供は顔貌が似ているが、何故脳だけ似ていないと言えるのかには納得出来ない。顔も似れば気持ちも似るに違いないと思う。学者は、エピジェネティクスなどと名付けて、遺伝子は変わらないがDNAに何かが付加して遺伝子が変わるなどどいう珍説を言い出している。だがコジツケと見るべきだろう。何れにしろ、自分は学習も経験も遺伝するものと確信している。それでなければ、今の自分はいないし、これからの人類の発展もない。科学的に証明されたことだけが真実ではないことは言うまでもない。ここが科学の限界なのだろう。

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クジラとメダカとヒト

よく昔から、頭の良さは脳の大きさに比例するという言い伝えがあるが、現実は違うようだ。もし正しかったのであれば、ヒトよりもクジラの方が賢くなっていて、今頃はクジラ王国でヒトはクジラの家畜として飼われているに違いない。それを覆すように、自然科学研究機構基礎生物学研究所は、メダカの脳は極めて小さいが、高度な認知能力を持っていることを実験的に証明したとのこと。今まで魚が色や形や大きさで仲間を認識して群れをつくることは知られていたが、新たに動きで仲間を見分けられる能力があることを発見したようだ。動きを見極めるには、学習や経験情報の蓄積が必要なので、これが高度の認知能力そのものということになる。簡単に言うと動きで仲間を見分けられる能力とは、近くにいたメダカに恋をすることを意味するらしい。自分なりに解釈すると、この学説は間違っていると思う。全ての生き物は、脳の大きさとは関係なく、近くの異性に興味を持つ基本的な習性がある、というのが正解だと思う。研究所は本能の源である海馬の働きを甘く見ていたのかもしれない。

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我が家の正月の風物詩

我が家は二世帯住宅で、下には義母が上にはカミサンと自分の3人で生活している。正月になると子供たち3家族が1~2泊していく。老老介護の3名が総勢大人9名子供5名の大集団に変わる。幸い部屋数は足りているので、各家族を1部屋ずつ収めることが出来る。普段は広過ぎると思う家が、正月だけは手狭になる。家の収容能力はそこそこあるが、大変なのは食事と洗濯。6人掛けのテーブルを2つ使って、今年は何とか全員が座れたが来年は難しそうだ。食事は全てカミサンが用意するので、年末の買い出しから始まり、この数日間は台所に陣取りひたすら料理に没頭する。後片付けは嫁さんたちが手伝ってくれるので楽になった。だが食事以上に大変なのが洗濯だ。普段は2人分だが、13人分に増える。しかも孫たちはよく汚すので大人よりも量が多い。洗濯機が何回転もして大車輪の活躍をする。干場も広いのだが、この日ばかりは洗濯もので埋め尽くされる。子供たちが帰ると、嵐が無事去ったようで、カミサンと顔を見合わせ無言で「お疲れさん」の挨拶を交わすのが恒例になっている。

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穏やかな天候と社会

今年の年明けは、温暖で風もなく穏やかだ。如何にも今年は良い年になりそうな気配を感じさせる。今日は例年通り我が家に子供や孫が集まった。親になった子供たちの変化は僅かだが、孫たちの成長ぶりには目を見張るものがある。昨年までは一人ひとりの孫に合わせて遊んであげていたが、今年は孫同士で遊ぶようになった。孫たちも孫同士の顔が見られることを楽しみにしているようだ。自分にもタカイタカイやダッコが激減し、腰を痛めることを免れるメリットがありそうだ。今年は5人の孫たちが一つの社会を形成する年にもなりそうだ。今日の穏やかな天候のように、穏やかな社会が出来ることを願いたい。

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元旦に思った事

昔を思い出すことは簡単だ。だが記憶に残るような良い思い出とか、二度と経験したくもない思い出とかに限定されるのが欠点。一方で、日常のさり気無い生活の中で、フと思うことはよくある事だ。ところが、そのよくある事は泡沫のように生まれては消えていく。まるで徒然草の出だしのようだ。このブログでは「雑感帳」と銘打っている通り、特別なテーマはない。そこが良い。その時その時に感じたことを、ひたすら文字として表現してみる。だから結果としてフと感じた些細なことが消えることなく残っている。考えてみれば、よくも1000日以上も毎日感じたことを綴ってきたものだと思う。読み返すと、勿論その時はその通りと感じたことを納得する。でもそれがいつも自分の頭の中を占めている訳というものでもない。日記かというと、それもまた少し違う。文章は例え短文であれ、起承転結が基本にあると考えている。日常の些細な事を考察して、自分なりの筋道と結論を導き出す作業が、認知症発症を遅らせていると思う。ブログは老化防止の最良の良薬と言えると思う。今年もスタートした。

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