カテゴリ:201506



30日 6月 2015
スズキの鈴木修会長兼社長が、社長職を長男に譲ると発表した。御年85歳の鈴木会長は5月の決算会見では、90歳までトップを続投すると表明していた。ところが6月27日の株主総会から僅か4日後に突然の社長交代だ。重要人事は株主総会にかけるのが常識。自分はスズキの株主ではないから文句を言う立場ではないが、株主たちは今年の株主総会は一体何だったのだろうかと思っているに違いない。鈴木会長は優秀な経営者でスズキの中興の祖と敬われている。経営実績は申し分ないが、ワンマン経営者としても名を馳せている。不確定要素の多い時代にはワンマン経営は機能し効率が良い。しかし一方で裸の王様状態にも陥り易い。裸の王様の下では優秀な部下が育たないのも常識だ。突然の社長交代もそれを裏付けているように映る。自分も嘗て子会社に移った時ワンマン経営者の下で働いたことがある。確かにその経営者は優秀で、問題意識も明確で行動力もあり、相手の意見をねじ伏せる豪傑だった。問題は部下たちだ。取締役を筆頭に部課長クラスが全員ワンマン社長の意向ばかりに目を向けている。と言うよりはビクビクしている。ドイツで重大な品質問題が起きた時すぐに品質責任者が現地に駆け付けるべきなのに、品質担当常務は品質保証部長に対し、社長が行けと言うかもしれないから待機しておけと指示していた。常務ですら自ら決断が出来ない体たらくなのだ。フセインがきっちり治めていた頃のイラクと子会社がダブって見えた。この会社もワンマン社長が去れば今のイラクと同じようになるのかもしれないと思った。自分が早期退職したのは、この会社風土に嫌気がさしたことも一つの要因だった。
29日 6月 2015
千葉の野田市がコウノトリを保護するため、150m以内に近づくことを禁止する条例を可決したという。同時に絶滅の恐れがある県のレッドデータブックに掲載する動植物も、採取や捕獲を禁止したとのこと。この条例は結構なことだが、一方国の保護政策がきっかけで大繁殖し、深刻な被害をもたらしている動物もいる。鹿だ。鹿が田畑の穀物や野菜を食べ尽くす農業の大敵であることは有名だ。野菜が無ければ樹木の皮や新芽を食べて枯らしてしまうし、草や枯葉も食べて表土を無くしてしまう。それだけでなくマダニやヤマビルを拡散させヒトに被害を与えている。国は政策を改め鹿を10年後までに半減させることにした。だが、これは目標値を設定しただけで、効果は上がっていない。鹿は繁殖力が高く捕獲目標が追いつかない。更に捕獲を行う猟友会などの人材不足で捕獲目標を達成出来ないのが現状だ。何故これほど酷い被害が出るまで国は放っておいたのかと憤りを感じる。もっと早く手を打っていれば、ヒトや自然への被害も少ないし、鹿も枯葉を食べるほどのひもじい思いをせずに済んだはずだ。政策や条例は、一度決めると突っ走り止められなくなるのが日本の政治だ。レッドデータブックに掲載の動植物が野田市に被害を及ぼさないことを願いたいものだ。
28日 6月 2015
ザハ・ハディド氏の作品は1300億円との触れ込みだったが、現実の見積もりは3000億円に膨らんだ。それでは高過ぎると鉛筆を舐め舐めして1600億円と偽ってみたものの、最終的には2500億円で落ち着いた。ハディド氏は当選したことに驚き、マジでこんなものを作るのかと言ったとか。実質的にハディド氏の作品に決めたのは有識者委員会で、当時太鼓判を捺した建築家の安藤忠雄はいまダンマリを決め込んでいる。当時のゼネコンは建設可能とコメントしたが、金と時間を無視すればという条件付きだった。平たく言えば2020年までには出来ないという事だ。責任者である文科省は事業を日本スポーツ振興センターJSCに委託した。JSCは当初から実現不可能な無謀な計画と分かっていながら、計画の推進が責務なので、無謀などとは言えない立場だと責任を放棄した。東京五輪を招致した猪瀬都知事は実行責任者になりたがったが、森元首相にその座を奪われ、かつ徳洲会汚職で辞任してしまった。猪瀬の後を引き継いだ舛添は、猪瀬の500億円拠出の密約を知りながら、下村文科相には知らぬ存ぜぬを通して、都民に対しいい子ブリッコを演じて問題を複雑化させた。挙げ句の果てに、文科相はハディドのアーチ構造は、国際公約だとして実行すると言う。全てがハチャメチャだ。ハディド氏の見積もりは無責任だから、契約を解消しても何の問題もないし、寧ろ契約違反と弾糾すべきレベルにある。安藤とゼネコンも出来ないものを出来ると言ったのだから責任は重い。招致しながら辞任に追い込まれた猪瀬も脇が甘いという意味では無責任だ。森元首相や舛添やJSC幹部などは、言うに及ばず。新国立競技場建設の問題点は、たった一つだけだ。最終の責任を取るリーダーがいないこと。無責任の連鎖が続いている。
27日 6月 2015
今日は半年ぶりのミニクラス会だ。5年前に先立った仲間を偲んで呑兵衛仲間の有志が集まった。毎度お馴染みの幹事の行き付けの居酒屋は、若いカップルで満席だった。数年前はガラガラだったので、間違いなく景気が上向いていることを感じさせた。昭和40年に一緒に高校を卒業した仲間だから70歳も間近で、もう食は太くない。アルコールは好きだがバカ飲みもしない。酒の肴は大皿に盛られたキンキの煮付けから始まった。普段の自分は魚の煮付けは敬遠気味の方だが、この煮付けは美味かった。ふわっとした肉厚な身にコラーゲンが纏わりついていて、口の中で溶けていく。全員が骨までしゃぶり尽くし、大皿には汁だけが残った。先立った仲間の思い出話が一巡し、それをネタに話が拡散していった。半世紀前の当時には知らなかった話が多かった。「実はあいつはね」とか「あれとあれの関係は」とか、暴露話に話題が弾んだ。知っていれば自分の人生も変わっていたのかもしれないとも思ったりした。しかし所詮は昔話だ。寧ろ気楽に聞き流し楽しめることが、時の経ったことを感じさせた。最後の〆にご飯を頼んだ。茶碗にご飯を盛り、大皿に残ったキンキの汁を注ぎ全員で食べた。「美味い」と声と顔を合わせ、お開きになった。仲間を偲ぶ楽しい会であった。
26日 6月 2015
アメリカ食品医薬品局FDAが人工トランス脂肪酸を3年後に全面禁止すると発表した。人工トランス脂肪酸はマーガリンやショートニングに含まれていて、過剰に摂取すると心臓病のリスクを高めるとの研究結果がある。WHOはトランス脂肪酸の摂取を総エネルギー摂取量の1%未満に抑えるよう目標値を設定しているが、日本の食品安全委員会は日本人の摂取量は目標値以下なので健康への影響は小さいとして規制していない。だが我が家では5~6年前にマーガリンをバターに切り替えた。トランス脂肪酸の健康への影響についての研究は、歴史も長く感動的だ。60年以上に亘ってトランス脂肪酸が動脈を詰まらせる物質だとして、危険性を訴え続けてきた研究者がいる。イリノイ大学のカマロー教授だ。教授は60年前に心臓病で死亡した患者の動脈組織中に高濃度のトランス脂肪酸を発見。その後トランス脂肪酸の危険性を実験的に証明。30~40年前頃はバターよりもマーガリンの方が安全と世間では信じられていたが、教授は食品業界に危険性を警告。10年前から食品に含まれるトランス脂肪酸の表示が義務化された。6年前に教授は使用禁止の嘆願書をFDAに提出したが返答がなかったので、2年前に訴訟を起こした。訴訟の結果FDAはやっと重い腰を上げトランス脂肪酸を全面禁止するとの発表に至った次第。カマロー教授は今年100歳を迎え未だに健在だ。一念岩をも通す。社会貢献に徹した研究者の鏡といえる。
25日 6月 2015
今月末が期限となるギリシア再支援の合意交渉がクライマックスを迎えている。債権者のトロイカ(IMF、ECB、ユーロ同盟国)がOKを出せば、ギリシアは債務不履行とユーロ離脱は免れるが、歳入増のため消費税増税、脱税恩赦、預金引き出し制限を実施することになる。もしNOであれば、ユーロ離脱となりギリシアに続く離脱国が現れユーロ体制が崩壊していくかもしれない。それにしてもギリシアのチプラス首相の交渉力は強いものだと感心する。もしギリシアの首相が日本人気質であれば、即トロイカに屈服してしまうに違いない。なにしろ日本は、借金が返せなければ相手に申し訳ないと思い自殺してしまう人が出るような国なのだから。チプラス首相の強さは、欧米人特有のものかもしれないが、その強さを増強させている話がある。チプラス首相がロシアを訪問しプーチン大統領に会い、ともに同盟国であるべきだと合意した。場合によっては、ギリシアはNATOからロシア側に寝返るぞというサインだ。プーチンはギリシアを更に心強くさせる話をしたようだ。プーチンは「100万円借りた場合は借りた者の問題だが、100億円借りたら困るのは貸した方だ」と言い、心配せずに頑張れとチプラス首相を励ましたとのこと。確かにギリシアの負債は巨額だ。巨額過ぎて潰せないのも事実。チプラス首相は寝技も上手そうだが、巨額な負債という強い味方も付けた。どうやら落としどころが見えてきたようだ。しかし、長い目で見ると、ギリシアにとってOK/NOのどちらの道が幸せに繋がるのかは誰も分からない。
24日 6月 2015
2020年東京五輪のメイン会場になる新国立競技場のデザインが当初の面影のあるアーチ構造に決まったらしい。招致活動時に選ばれたザハ・ハディド氏の作品は1300億円の見込みだったが、現実の見積もりは3000億円になり問題化した。その後舛添都知事などとスッタモンダがあったが、結局文科省は2500億円でアーチ構造を承認し業者と契約をするという。巷では、東京都が500億円を拠出する密約などで騒いでいるが、ことの本質はそこには無い。問題はアーチ構造にある。2500億円という途方もないお金がかかるが、そのうち1000億円以上はアーチ構造だけのための建設費という。何故アーチ構造にする目的があるのだろうか。第一義は、ハディド氏のイメージに下村文科相が拘った為。しかも第二義は存在しない。第三義は強引に推薦した安藤建築士の呪縛かもしれない。では、アーチ構造は如何なる恩恵を齎すのだろうか。アーチ構造が齎す恩恵は何もないと建築家は言う。現実には恩恵よりも災いを齎すようだ。強度が弱く地震や火災や雪にも弱い。もし東京大震災が起きれば、避難所ではなく凶器になるかも知れない。それ以外の何物でもない。要するに見栄え以外に取り柄が無いのだ。それでも1000億円以上の金をかけてアーチを作るという。最早見栄の張り合いと言うか、意地の突っ張り合いとしか映らない。既にIOCは世代交代して、バッハ会長は低コスト開催を推奨している。だが開催地の日本は文科相の見栄だけで1000億円ものお金を浪費しようとしている。もし新IOCが機能するのであれば、日本の狂気に歯止めをかけて欲しいと思う。とても残念だが新国立競技場建設をストップするにはバッハ会長の横槍しかない。国民から見れば、時の責任者である文科相が、それ相応の人物ではなかったのがめちゃくちゃ残念だと思うしかない。それが日本の国民の心情だ。
23日 6月 2015
DeNAが巨人を下し12連敗の長いトンネルをやっと抜けた。DeNAのファンではないが、今年のDeNAは興味深い。5月中旬に中日を下し中畑監督が指揮を執って以来通算200勝を達成し、16年ぶりに貯金を8と伸ばし首位を確保した。まさに球団創立以来初めてのイケイケ状態だった。ところが、首位で臨んだ交流戦で連敗を喫し、今日の勝利が6月に入り何とまだ2勝目だ。この変わり様は、リーグ戦から交流戦に移ったことだけでは理由が付かない。調べてみると、それなりの訳があるようだ。中畑監督が通算200勝を挙げた試合の後、ナインに対し「あとは5割でいい」と言ったらしい。その言葉を聞いて、それまで、まるで夢のような活躍をしてきた選手たちが、ハッと夢から覚めてしまったようだ。まさに過去の弱い世界に引き戻されたのかもしれない。戦国の強い武将は、戦に勝っても「勝って兜の緒を締めよ」と家来を引き締めたものだ。だが、中畑は兜の緒も馬の手綱も緩めてしまったのだ。今日現在DeNAは12連敗しても未だに3位を保っている。中畑にはツキがあるようだ。しかし、一度緩めた手綱を再度引き締めることは、誰にとっても至難の業だ。再度連勝ペースに戻せれば優秀な監督との誉れを受けるが、このまま進み定位置の6位で終われば史上最低の監督の烙印が捺されることになる。中畑の才覚が試されようとしている。ここ1~2週間がまさに中畑人生の分水嶺に違いない。
22日 6月 2015
増田元総務相が座長を務める日本創生会議が「老人は地方へ」と提言し波紋を広げている。今後高齢者が急増する首都圏では医療介護サービスの供給が追いつかなくなるから、老人は盛岡や高松や熊本など供給に余裕のある都市に移住すべき、という内容だ。この提案を受けて政府の地方創生策が動き出すというが、果たしてこの提案は的を射ているのだろうか。一時流行った米国の元気な富裕高齢者だけが移住してスポーツや娯楽を楽しむニュータウン作りを見習って、日本版の構想を練るようだ。だが、このニュータウンは既に失敗している。元気だった高齢者が、すぐに要介護になり介護タウンになってしまった。同じことを日本ですれば、地方に負担を押し付けるだけになる。更に高齢者には転居自体が負担だ。転居がきっかけでコミュニティがなくなり、鬱になったり認知症が進む恐れは充分にある。従って「老人は地方へ」ではなく「老人は地元で」生活出来るよう、首都圏の医療介護サービスを高めるべきだ。一方地方創生相は「若者を地元に」引き留めるか「若者を地方へ」向かわせる政策を編み出すべきだと思う。
21日 6月 2015
今日の朝刊の全面広告を見て、時代は移りゆくものだとしみじみ感じた。京都らしき風景をバックに「大量消費の国。価値を伝え継ぐ国。豊かなのはどちらでしょう」とのキャッチコピー。物の価値を大切にして次代に引き継ぎましょうというメッセージだ。どこの企業だろうかと興味を持った。広告の主は、何と質屋の大黒屋だ。昔々自分が小学生になる頃、品川区の大井に住んでいた頃を思い出す。隣は質屋で、近所には競馬場があった。ある日見知らぬオジサンが我が家に来て、時計を預けるのでお金を貸してくれと言ってきた。質屋は隣ですよと母が言うと、オジサンは来てみたら質屋が休みだったのでと頭を下げた。競馬ですってしまって帰りの切符が買えないのだと言う。母が「うちは質屋じゃないからだめです」と断ると、オジサンは「重々承知しています。後日必ずお金を返しに来ますから」と懇願し、母は時計をカタに取らずに渋々切符代を貸してあげたことがある。しかし、その後オジサンが我が家に来ることはなかった。その後別のオジサンが同じ理由で来たことがあるが、母はきっぱりと断っていた。質屋とは一時的な繋ぎ資金を必要とする人が通うもので、預けた物が質流れしないようまたまた金の工面をしなければならない。半世紀前の質屋といえば、こんなイメージだった。ところが最近は物が有り余る時代だ。ブランド品や貰い物は不要となれば質屋で換金するのが当たり前になっている。勿論質流れを前提としている。大黒屋の広告の通り、現在の質屋は高級リサイクルショップ業ということなのだろう。

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