フーケッツの思い出

フランスの黄色いベスト運動が暴徒化しシャンゼリゼ通りの店舗が放火や略奪の被害に遭っているとのこと。ジャン・ギャバンらの顧客で有名な「フーケッツ」も放火された。「フーケッツ」というと思い出がある。会社を退職した時、子供たちが「海外旅行でもしたら」と餞別をくれた。そして8日間のヨーロッパ・パック旅行をすることになった。フリーの日「フーケッツ」でディナーをした。まずはワインを注文。最初の一杯目は給仕が注いでくれたが、その後はなかなか来ない。仕方なくカミサンに注いでもらうと給仕が青い顔をしてスッ飛んで来た。日本では女性に注いでもらうのが当たり前だが、さすがにパリでは異常なようだ。初めて西欧のレディファースト精神を実感した。カミサンは鱒のムニエルを食べたが食中りした。帰り道で症状が重くなった。仕方なく途中の喫茶店に入りカミサンの回復を待った。どうにかこうにかホテルに辿り着いた。今でもパリと言えば「フーケッツ」を思い出す。それ以来カミサンが外で鱒料理を注文することは無くなった。カミサンは燃えるフーケッツのテレビ画面を凝視した。きっと鱒の苦い記憶が呼び起こされたに違いない。