四季の移ろいの主役

二三日前から、まだ上手くは囀れないウグイスの声が聞こえるようになった。ここは里山ではないのに場所を間違えたのかと思う。今年は春が来るのが早かった。梅の花が咲くより前のことだ。餌台にミカンやバナナを置いておくと、毎朝ヒヨドリやメジロがやって来た。でも桜が満開になる前の頃からヒヨドリもメジロも姿を見せなくなった。だが花見に行くと桜にヒヨドリとメジロが群がって花を突いている。花は綺麗だし、蜜も豊富、仲間も沢山いる。道理でうちの餌台に来る訳が無い。我が家で、真っ先に春が来たと感じさせるのは柿の新芽だ。枝先が僅かに黄緑がかる。そして柔らかい緑が、赤ん坊の手のひらのようにチョコンと顔を出し、手を振るように春風にそよぐ。春が来たな~とシミジミ思う。その新芽を見ると晩秋の真っ赤な柿の葉を連想させる。いつだったか真っ赤な柿の葉に感動し「柿の一生」を書いたことがある。あの時は、真っ赤な柿の葉がスタートだったが、今日は枝先の淡い新芽がスタート。この文を書いているうちに分かった事がある。自分にとって四季の移ろいの主役は、柿の葉なのだということを。ヒヨドリやメジロやウグイスは主役を引き立てる楽器であり背景なのだ。ヒヨドリやメジロは動物だが、柿は植物。ひょっとすると自分は草食系かと思った次第。否、草食系ではなく草燭系なのだろう。草を愛でるということなのだろう(注:燭とはともしびのこと)。義母に茶道を習ってから、草木の移ろいが自分の一部になってきたような気がする。茶道は奥が深そうだ。