批判の嵐が通り過ぎるまで

公用車私用使用で批判を受けていた舛添都知事がニュース番組に出演して「今後は使わない」と発言した。批判が激しくなる前は「湯河原の別荘は事務所として使っているので公用車を使っても問題はない。別荘の温泉は都知事職遂行のための健康管理の手段だ」と言い、毎週末の別荘通いは公務であると主張していた。屁理屈そのものだ。常識的に別荘通いは公務ではない。だが、この世間には屁理屈が通らず、仕方なく「ルールに違反してはいないが、今後は止める」と常識路線に変更したようだ。でも「ルールには違反していない」と言うことは、都庁では屁理屈が通用するという証でもある。また、豪華出張については「事務方が敷いたレールに乗った」と釈明し、更に厚かましくも「私も反省しないといけない」と付け加え、都職員に責任を擦り付けた。豪華出張の内容に都知事の意向が反映されないはずはない。以前は20万円のスイートルームは来客接待上必要なものと弁明していた。しかし海外の要人が打ち合わせの為ホテルの部屋に来ることはあり得ないと批判され、やむなく「今後は削減努力をする」と降参したようだ。「この期に及んで」という言葉があるが、舛添にはこの期に及んでも真に反省の言葉が無い。だから「今後は公用車を使わない、出張費は削減する」と言っても、反省として受け取れない。批判の嵐が通り過ぎるまで、首を竦めているように見える。増々世間の監視が必要だと思わせる釈明劇だった。それよりも舛添は清水の舞台から飛び降りる気持ちで「慢心でした」と素直に反省すれば、世間の風向きは追い風に変わっただろうにと思う。