張本と王の違い

日本のプロ野球界が揺れている。清原元巨人軍の覚醒剤事件は別格として、野球賭博や声出し金銭授受騒動で連日マスコミの厳しい目に曝されている。野球賭博で巨人の現役選手数人がやり玉に挙げられた。野球賭博は暴力団の資金源になるので、極めて反社会的な行為といえる。だが「喝!」で有名な張本が、高木投手の賭博問題には喝を入れなかった。些細な事でも「喝」と吠える張本にとっては珍しい。「喝」よりも高木本人の更生を優先したと釈明している。だが、今までの張本の主張から類推すれば極めて異常だ。筋が通っていない。「喝」を連発すべき事柄だ。喝を発しないということは、悪事を甘やかすという意味にも取れる。よほど自分の生き様と重なったに違いない。一方、張本と同期である王の声出し金銭授受騒動についてのコメントは、張本とは対極をなしている。敢えてマスコミへ要請したコメントは秀逸だ。選手たちを責めないでと言う。「マスコミは金銭授受そのものを問題視しているが、政治家の利権がらみとは違う。本人たちは決してファンの皆さんを裏切るためにやった訳ではない。選手は本職を一生懸命やっている。試合前に行われる円陣の声出しは、担当の選手が状況に応じて、仲間を鼓舞する言葉だったり、笑わせて緊張をほぐすジョークを発して盛り上げるもの。でも金銭授受が賭博に繋がる恐れは無いとはいえないので、今後戒める。だから賭博と同じに取り扱わないで」と要請している。魔女狩り的なマスコミの猛攻に対して、王は勇気をもって選手たちを庇った。見上げた行いだと思う。張本と王は同期で仲が良いそうだ。だが、考え方や行いには、天と地ほどの差があるようにみえる。片方は、そろそろマスコミから自ら姿を消すべきだと思うのだが。