パクリの総合商社や

使用中止が決まった東京五輪エンブレムのポスターが次々と剥がされて行く。出来の悪いエンブレムではあるが、貼られた次の日に剥がされていく光景を見るのは、何か一抹の寂しさを感じる。その寂しさとは、佐野作品のエンブレムが剥がされること自体ではない。五輪大会組織委員会の無責任さと佐野研二郎本人の自律のなさにだ。ベルギーの劇場から始まり、サントリーのトートバック、デザイン選考過程の出来レース、原案とヤン・チヒョルト展ポスター、写真の無断転用等々が発覚したが、組織委は頑なに問題なしと走り続けた。ところが佐野本人の取り下げにより一転して使用中止を決定。一体誰が判断をしていたのだろうかと疑問を覚える。答えは簡単だ。五輪組織は縦割りで、かつ部分担当制だから、一度決定すると見直す機能がないので修正出来ないからだ。五輪担当相を置いても役には立たないようだ。それにしても超一流と言われた佐野作品にはパクリ作品が多い。太田市美術館のロゴ、東山動物園のシンボルマーク、扇子の京扇堂など数え上げたら切りが無い。彦摩呂流をパクレば「まるでパクリの総合商社や」と言える。佐野は取り下げ時に、他の作品のパクリは認めたものの、エンブレムだけはパクリではないと言っている。ゴミの中にも一つくらい宝石があるとでも言いたいのだろうか。第三者には、ゴミの塊はゴミにしか見えない。取り下げ理由は、批判から家族と仲間を守るためだと言う。パクリではないのなら自分から取り下げるべきではない。決して取り下げないことが、パクリではないことを証明することになるはずだ。