競馬場の功罪

競馬のことなど良く知らないがメルボルン・カップのニュースを見て考えるところがあった。メルボルン・カップは高額な優勝賞金で有名らしいが、最近は違うことで名を馳せているとのこと。それはファッションだ。オーストラリアは兎も角東南アジアの各国から美男美女が集まって、そのファッションを競っているという映像を見た。センスが良いとは言い難いが艶やかで、競馬場を楽しんでいる雰囲気がある。それはそれで良いのだが、この映像を見て自分にとっての競馬場の概念は一変した。自分は、子供の頃も大人の今も、場所こそ違え競馬場の傍に住んで居る。昔の競馬場といえば、何の楽しみもない戦後の社会で唯一の娯楽として成り立っていた。だが今の競馬場は生活保護費を使うための場に成り下がっているようにも見えるし、しかもファッションはオジサンばかりのドブネズミルック。更にどこの地方競馬も赤字で喘いでいるのが現状だ。昔も今も、競馬は灰色の世界に見える。何故外国の競馬の明るさと、日本の競馬の暗さの差が生じてしまったのだろうかと不思議に思う。プラスとマイナス、明と暗、享受と搾取、富裕と貧困、楽しむことと苦しむこと、楽天と悲観、等々これらが見事に符合する。日本は今まで上辺だけで外国を真似をしてきたことに反省した方が良い。まず間違った真似を止めることだ。それからその次を考えることが一番重要な時に来ている。競馬場は廃止すべき。即刻。